『 織りネームの発祥と歴史』

【福井県 織りネームの発祥】

先日、株式会社フクイさんを訪問した際に、土屋社長から小林さんの講演原稿を受け取りました。

いつの講演だったかは正確には覚えていないのですが、小林さんがジーンズ協議会の理事としてジャパンクリエーションなどで講演を依頼されたときの資料だと思います。

この講演では、小林さんは【日本の織りネーム】について話しています。

小林さんは常々『我々はジーンズメーカーと言うけれど、実際には生地や附属などの資材をメーカーから買って、組み立てているだけの企業であり、我々が作っているジーンズは日本が長い時間をかけて、地場産業として培ってきた、優れたモノ作りのかたまりである』と言っていました。

ジーンズにとって織りネームとは小さなパーツですが、フクイさんをはじめとする織りネーム企業も、日本のジーンズにとって大切なアライアンス企業であると考えていた小林さんらしい講演だと思います。

なお、この講演の原稿を作るために、小林さんと私、土屋社長で丸岡地区の重鎮の方から、昔の話などをお聞きして内容をまとめました。

内容に間違いなどがあるのかもしれませんが、過去の講演原稿ですのでお許しくださいますようお願い致します。

【日本の織りネームについて】

およそ80年前(正確には明治44 100年前) 福井県 坂井市 丸岡町の庄屋を中心とした人達が、京都西陣の指導を受け、『越前織』のルーツと考えられる織物を始めた。

当初は、広い土地を持つ庄屋が閑農期の仕事として、敷地内に織機を設置し、個人単位で行っていた。

特徴としては、西陣の『紋機』と呼ばれる織機を導入し、従来北陸地方で行われていたリボン製造の発展形である細幅織物を得意とした。

以後、細幅織物にマークを入れる【織りネーム製造】として発展としていく。

株式会社フクイの前身は、柳沢織ネームであり、1919(90年前)に創業している。

昭和期に入り戦争の時代を向かえ、織ネームの用途は軍需製品が中心となる。陸海空軍の階級章・帽章・マーク・郵便局・在京軍人会・大政翼賛会・国防婦人会等の徽章や肩章などの受注を受けていた。

戦争が終わり現代になり、今からおよそ50年前に、細幅のシャトル織機を自ら開発し導入した丸岡地区では、主に高島屋や伊勢丹など百貨店ブランドスーツのブランドネーム製造を行った。

また当時はスーツはオーダーが主流だった事から銀座のテーラーのネームなども手がけ、以後丸井がイージーオーダーメイドのスーツの月賦販売を始めたことにより、ブランドネームの需要も増加していった。

その後、JUNVANといったブランドが台頭し、百貨店やテーラーのネームから、アパレルブランドのネーム製造へと移行していく。

当時、丸岡地区には200社ほどの織りネーム工場があった。

アメリカでは、以前よりプリントネームが多く使用されている。一方、日本では織りネームが多く使用されており、糸の開発などの分野で進化を続けてきた。

【丸岡地区のクオリティ】

特に家庭に洗濯機が普及し始めた時代、家庭洗濯による織りネームの色落ちという問題が多発した。

丸岡地区では、織ネームに使用される糸の品質(染色堅牢度など)や調達の安定性を目指し、組合の共同事業として『丸岡ファインテックス協同組合』を設立し、独自のレーヨン・ポリエステル原着糸の供給体制を確立した。

一方、細幅シャトル織機による織りネーム製造の他に、レピア織機による製造方法がある。レピア織機は織った後にヒートカットされるため、ポリエステル100%の糸しか使用できない。

日本ダムでは、フクイとは別派として糸を調達しており、ポリエステルは糸染めされている。

フクイなど丸岡地区の産地としての特徴は、使用する糸の堅牢度など品質保証の体制が整っていること。

上海では糸の堅牢度は保証されておらず、試作して洗浄し、堅牢度が合格のものを使用するという体制。

【日本の織りネームの価値】

歴史と伝統を共有する地場産業としてのサプライチェーンが形成されている事により、同じ価値観を持った開発・品質保証が実現されている。

また、丸岡地区ではシャトル織機がメイン(生産量70)であり、綿糸など、ポリエステル以外の糸を使用する事が可能。ジーンズに採用されているネームなどでも綿経などが使用されており、ポリエステル以外の素材を使用することにより、洗い加工によって織りネームにもダメージ感が表現されている。

日本製のジーンズはビンテージ感の表現が優れており、織りネームなどにも褪せ(あせ)崩れといった感性は大変であり、商品としての最終的な顔を意図した開発ができる。

今後についても、安全性、安心といった分野も含め、価格競争できなく価値で生き残っていける事を目指していく。

小林さんとトイレの話

今回の内容は、小林さんの講演とは関係ない日常の中の発言や、小林さんの考え方を書こうと思います。

確か2004年くらいの事だったと記憶しています。ある日、私にこう言いました。「何で工場のトイレは和式で、ウォッシュレットが付いていないんだ?」
小林さんが作ってきた工場ですので、何でかはこっちが聞きたいくらいなんですが、「うーん、何ででしょうね。でも普通(当時)工場のトイレってウォッシュレットは付いていないですよね。」などと答えました。

現在では、高速道路のサービスエリアや新幹線の中、コンビニなど、どこのトイレでもウォッシュレットが付いているのが当たり前ですが、当時はまだ現在ほど普及していたワケでもなかったと思います。ましてや古い工場などでは和式トイレが一般的でしたので、私も特におかしいとは思っていませんでした。

すると小林さんはとても顔を赤くして(気持ちが熱くなると顔が赤くなる。)「今どき、自宅のトイレは洋式で、ウォッシュレットが付いているだろう!だったら毎日会社で使うトイレにウォッシュレットが付いていないのはおかしいだろう。ウチの社員はトイレにウォッシュレットが付いているのが普通という生活をしているんだから、工場だってウォッシュレットが付いていて当たり前だろう!」

なるほど。おっしゃる通り。ちなみに小林さんはその数年前(2003年)にご結婚され、新居を汐留の高層マンション(公団管轄の賃貸でした。)にお住まいでした。
ご結婚前は世田谷の古いご実家に住んでいましたので、ウォッシュレットが付いていたとは思えません。おそらく汐留の新居で毎日ウォッシュレットを使用するのが当たり前になってきたので、突然、工場のトイレが和式でウォッシュレットが付いていない事に疑問を持ったのだと思います。
「すぐに全工場のトイレを洋式にして、ウォッシュレットを付けるように」という指示を受け、さっそく全工場の工場長に連絡してトイレ洋式化・ウォッシュレット整備に取り掛かりました。

工場長の中には「工場のトイレにはウォッシュレットは必要ないですよ」と言う意見もありました。また、特にご年配の社員からは「洋式はお尻に触れて気持ち悪いので和式を残しておいて欲しい」などの要望も出ました。
しかし小林さんはやると言ったらやる方でしたし、私も小林さんの考えには大いに賛同しましたのですぐに行動に移して、6か月後くらいには全工場のトイレはひとつの和式を残してウォッシュレットが付いた洋式になっていました。

工場長の中には、小林さんの考えをより前向きに理解して、トイレの壁のクロスや床まで貼り直して、築40年近い工場なのにトイレだけ新築みたいな工場までできてしまいました。

このトイレ環境改善は結果として、工場の社員全体の90パーセントを占める女性社員にとても好評でした。特に改築や修繕を諦めていた築年数の古い工場では、会社が直接は生産に関係のないトイレという場所をキレイにした事は女性社員にとって大変嬉しい事だったようです。私自身も直接社員から「トイレがピカピカになって嬉しい」と何度も言ってもらいました。たぶん社員の皆さんは、会社の事をそれまで以上に好きになってくれたように感じました。

 

小林さんは、このトイレ環境改善の前から、ご自身の理念としておしゃっていました。それは「工場のトイレが来客用と社員用に分かれていて、来客用はピカピカで社員用トイレの環境が悪いなんていうのは、物づくりにおいても同じ事が考えられて、商談室で聞くその会社の説明と実際の品質や納期管理には差があると考えたほうが良い。その会社の実力を見極めるためには、従業員用のトイレを見てみれば良くわかる。」

「海外工場では、まるでカフェみたいな来客用の商談室があって、現場に入ってみると、休憩室も無くて社員が製品の上に寝転がっていたり、排水設備が整っていなくて薬剤を浴びながら仕事をしていたりというとても劣悪な環境の中で社員が働いていて、そんな状態を見ても何の不信感も待たない、メーカーから訪問した社員や商社マンがとても多い。」

この理念には国の違い、先進国と開発途上国、人種、賃金レベルなど一切関係ありませんでした。小林さんは、日本でも中国でもベトナムでもチュニジアでも、いつも同じ視点で判断していました。そして、本当に『良い工場』を見つけ出してパートナーとして仕事を進めていました。

もちろん、トイレを改築するにしても費用がかかりますので、しっかりと会社としての利益を出していなくては実行は不可能です。また、設備の老朽化などでどうしても費用の優先順位は下がってしまう事もあります。
しかし、経営陣や社員の工夫により、できる事もあると思います。一番必要なのは、『どうあるべきか』(小林さんが口癖のように言っていた言葉)という理念なのだと思います。

工場の在り方、『工場はどうあるべきか』を真剣に考えていた小林さんは、自分たちの工場を第三者視点で評価してもらう仕組みを取り入れようと考えました。そして、工場グループに第三者機関であるエコテック・ジャパンのCSR監査を導入しました。
(エコテック。ジャパンについては別頁CSRをご参照ください。)

一般的にCSR監査というのはクライアントからの要請によりCoC監査(Code of conduct 取引行動指針など)を半ば渋々受けるようなものだと思いますが、小林さんは自らが積極的に、自社の工場でCSR監査を取り入れ、品質(QUALITY)・環境(ENVIRONMENT)・労働安全衛生(HEALTH AND SAFETY)・社会的説明責任(SOCIAL
RESPONSIBILITY)の各分野において、繊維製品製造の分野で国際的に求められる基準値を満たしているか、また国際的視点から第三者が評価してどのレベルであるかなどを、第三者評価機関であるエコテック・ジャパンおよびヨーロッパでは大変権威のある監査機関Tuv Rheinlandにより定期的に監査、評価を受けていました。

 

企業の社会的責任は時代を追って変化してきました。2015年の国連サミットにより世界共通の目標であるSDGsが発表、採択され、より具体的な17の目標が提示されテレビCMなどでSDGsという言葉やアイコンを目にすることも多くなってきました。

全世界が共通の目標に向けて、でき得る方策を立案し社会的な問題を解決していくという事は素晴らしいと思います。
しかし、テレビCMで人気タレントがSDGsをアピールする事よりも、自社のリサイクルやリユースシステムを広告で大々的に宣伝する事よりも、まずは自分が関わっている国内外の会社や工場のトイレ環境に注目して頂きたいと思います。そして、貴方がもしもその部分を改善するために少しでも影響力を持つ立場であるならば、『取引はしたいのですが、そのためにはぜひ従業員のトイレの環境をもう少し整備して頂けませんか?』と言ってください。それは、SDGsと同じくらい価値のある行動だと思います。

工場の社員旅行にて
全社員に屋形船からのお台場の夜景を見せたいと言って、実現しました。
酔った生産ラインの班長さんに抱きつかれてちょっと困っている小林さん。

2009年のJC(ジャパンクリエーション)

2009年のJC(ジャパンクリエーション)において、小林道和氏が講演を行った際の原稿です。この回のJCでは、貝原良治カイハラ㈱会長(JC運営委員長)よりエコテック・ジャパン近藤会長にフォーラムのコーディネートを依頼し、近藤会長より『アパレル業界のCSR』を主題とした講演が小林氏に依頼されたと記憶しています。

【ジャパンジーンズを取り巻く高い競争力とCSR調達】

日本の素材・副資材・洗い加工・縫製設備

1) 素材に関して
デニムは世界の中でも日本で作られたものが最も価値があると言われています。特に混綿の技術は世界で一番研究されており、世界中からデニムに合った原綿を調達し、その白度・繊維長・繊維の太さ等の管理が徹底されており、高い評価を得ています。
また染色においてもただ単に染めるだけではなく、中古洗いに向いた染色方法や色落ちしにくい染色方法等が研究されています。
混綿の技術が高いので、世界の同じ太さの糸と比較してみると日本の物がすぐれていることがわかります。

最近は綿100%のみでなく、ストレッチ素材はもちろんのこと他の合繊素材との組み合わせにおいても高い技術が養われており新しいデニムとして評価されています。

2) 副資材に関して
ボタン・ファスナー等の金属については、
『世界で最も厳しいUSAの重金属規制(CPSIA)をクリアした製品の提供及びその重金属のトレサビリティーを確立しています。
まず重金属ですが、検知機械、EDX器を工場に導入。特に鉛は2010年より90ppm以下を規定しており全ての製品をロット毎にチェックして出荷する事として現在進行しています。またその製品の材料、プレス、表面加工、組立、検査、包装、出荷等全ての工程のロット管理をしてトレサビリティシステムを実行しています。』

織ネームには、日本の洋服文化と同時に進化してきた100年の歴史があります。
元来日本の洋服は老舗の百貨店で仕立てるなど高級なイメージが強く、織ネームも高い技術が要求されました。
元々は西陣の「紋機」から始まっており、その後は細幅のリボンを製造しながら織ネームに変化してきました。昭和になってから軍需工場で陸海軍の階章やエンブレムを作ることで発達してきました。(「紋織」は、ドビー織やジャガード織などいろんな組織を組み合わせて、シンプルな柄から複雑な模様まで自由に織ることが出来ます。)

目に見えて流行り出したのは、40~50年前のVANやJUNが生まれた頃アパレルのネーム産業として発達しました。その当時、発祥地と言われる福井県丸岡市に200社程の工場があり、町中が活況を呈していました。
日本・イタリアには昔から織ネーム文化があり、それは糸の開発へと繋がりました。

地場産業からサプライチェーンへの自動形成へと同じ価値を持った人達が集まり、品質保証へと繋がりました。
日本製ジーンズは中古加工された物が評価されていますが、織ネームやその他のパーツも同様に侘寂<わびさび>とも言える中古表現が重要な意味をなし、全体として商品の魅力を高めています。

3) 洗い加工に関して
日本が初めてジーンズを洗った。ストーンウォッシュを開発したのも日本です。
その為、洗い加工の技術力は世界でも認知されています。
今は中古のみでなく、洗い加工がデザインのひとつとして自己の位置を築き上げました。
中でも日本が持っている固有の文化(=古いものに価値を見出すこと)は、世界中から見てとても魅力的で高い評価を受けています。

4) 縫製の設備に関して
縫製における2つの顔
① 50年前のミシンを今もメンテナンス出来る技術者とその中から生まれる商品の素晴らしさ
② 最新のミシンを使い、おそらく日本のオペレーターにしか縫えないミシンの設定で従来の
デニム縫製の枠を越えた技術

世界中のミシンの70%以上が日本のミシンメーカーです。
これだけの占有率があるのは、日本のミシンメーカーの開発力が生かされているからと言えます。

CSR調達について
 今、日本で考えなければいけないこと
今色々な形で「安く売れる」という事が、徹底したコスト管理とか経営努力したと誉め称えられており、それが出来ない会社は問題であるという話があります。
しかし、価値を上げるにはいろいろな努力が必要であり、手段を選ばない手っ取り早い方法に頼っているだけの行き過ぎたコスト削減は、劣悪な労働条件で働かざるを得ない人が増えているという事に気付いていないと言えます。(この事に気付かなければなりません)
自分さえ良ければいいというのではなく、安い商品はどこからどのように来るものか考えなければなりません。
まともなものは「損」と見なされているのは問題です。自分さえ勝ち残ればいいという考え方は危険です。
「ヒトの値段」「ヒトの価値」=「モノの値段」

誰が作っているのか?
物作りの基本は「現地現物」(=現場に足を運んで、自分の目で見て、判断する)が基本であり、単なるコスト要求から生まれるものであってはいけないのです。
特に今の綿花の相場に目を向けると、原綿価格と製品価格のバランスが悪いことを考えてください。
本来我々がしなければいけないことは、綿を作っている人が綿を作ることによって生じる健康面の大きな問題を解決することです。
大きな問題とは、綿花産業は農業全体の3%しかないのに農薬10%・殺虫剤20%の使用量を占めていることです。そのためにオーガニック・コットン化(減農薬化)を含め、綿花栽培のサスティナビリティを支えていく方法を考えていく必要があります。
(健康問題・土地・地下水の汚染)

消費者に話を聞いても、「今特に欲しいものはない」という考えを持った人々が多く、『何を新しく提案出来るか』、また品質の良さはもう当たり前になっているので、『どのように作られているか』、つまり物作りの履歴も説明し、≪安心出来るまともな商品作り≫が重要となると考えます。

CSRにおいても、物作りはパフォーマンスではないので、相手に要求するだけでなく、自分達で行なうことが重要です。物作りの履歴・安全安心が何故重要かをみんなが理解しなければなりません。
今「中抜き」という言葉がよく使われていますが、機能していない物を外してコスト削減する事が大切なのであり、本来しなければならないことをしていない(=手抜き)にならないよう気を付けなければなりません。

今後は、「日本発のファッション提案」(=日本は価格ではなく、価値で勝負することが重要)
日本は物作りにコストが掛かります。価格競争ではなく、価値競争で勝っていかなくてはなりません。また、日本のデニムビジネスは、クールジャパンと呼ばれるポップカルチャーや、和食やアートなどのハイカルチャーにも共通する、他国と違うアプローチが今後も必要となります。

『CCI(国際綿花評議会)デニムグローバルイベント2007上海』質問に対する回答

質問に対する回答

①御社の観点から、デニムビジネスにおける主要トレンドは何か?

回答
現在、主要トレンドの転換期であると思われます。
過去3年間にわたって主要トレンドは、プレミアジーンズの影響からステッチ、刺繍、フラップなどの変化が中心となっていました。シルエットに関しては、美脚、足長といった言葉に代表される、細身のシルエットがレディースでは主力となり、反面メンズではレギュラーストレートを中心に、ハードな加工変化が求められていました。

現在は、バギー、サロペットがレディースで、60‘sを中心としたビンテージがメンズでの新しい傾向となり、今後広がりを見せると考えています。つまり、太身のシルエットが注目されているということです。

また、素材に関しては、全体として、引き続き光沢感がテーマであり、新しいテクニックが見られはじめています。その反面、粗野な味わいを持つドライタッチな素材に対する要求も多くなってきています。

②これらのトレンドや課題は如何に変化しているか、シーズン或いは1年単位でどのような変化が予測されるか

回答
デニムビジネスにおけるトレンドサイクルは日本においては3年単位で変化しており、他のファッションビジネスのサイクルに比べれば長いと感じています。
しかし、ファッションは多様化しており、ターゲットを明確にした、よりカスタマイズされた提案が不可欠となってきています。
気候的には日本も亜熱帯化しており、春~秋の期間が長くなる中で、より涼感を表現できる素材開発が重要となります。

③これらのトレンドや課題は、マーケットの地理的要因に関係するか、日本独特のものか、或いはグローバルなものか

回答
先ほどお話ししたように、日本のマーケットは独特の特色を持っており、その中身はもちろん地理的な要因も関係しますが、ひとつは長い伝統から生まれた文化的要因、もうひとつは第2次世界大戦敗戦後の、世界でも類を見ない急激な生活環境の変化から生まれた、新しいものに対しての吸収力があげられると思います。
ふたつの、ある意味アンバランスな状況から生まれてくるファッションは、とても魅力的ではあると言えます。
グローバルという言葉も、どれだけの国の単位なのか、金額なのか、数量なのか、自分の国を中心としてとらえられたものなのかなど、視点により異なると思われ一概には言えません。
また、ファッショントレンドとビジネスは、必ずしも一致しないことが多いことも事実です。

『CCI(国際綿花評議会)デニムグローバルイベント2007上海』

講演タイトル『日本のジーンズマーケットの現状と特徴』

*本講演は小林氏のスピーチが、ヘッドフォンを通じて英語と中国語に同時通訳されて行われました。

日本のジーンズマーケットは、他の国ではあまり見られない大きな特徴を持ちます。ひとつは、ジーンズカジュアルショップと呼ばれる、多ブランドのジーンズを揃え、商品構成されたショップが、大手チェーン店5社でおよそ1000もの店舗をもつことです。また、その他ジーンズ専門店も全国でおよそ300店舗が存在します。
これらのジーンズカジュアルショップはここ数年来出店と拡大を継続してきました。ただし、現在が拡大の過渡期であり、今後はより消費者を意識した店舗作りが必要となってくると思われます。

また、これらのジーンズカジュアルショップ以外にも、GMS店舗内のジーンズショップがおよそ300店舗存在し、ジーンズを主力として取り扱うSPAの店舗も800店舗以上存在しています。
それらのマーケットプライスは$40~$80が中心です。

このようにNBと呼ばれるジーンズを主力で取り扱うショップが大変多く存在している状況は、世界の中では大変特異なマーケットであると思います。

アメリカ・ヨーロッパとの大きな違いの例として挙げると、大変残念なことながら、〇〇〇は日本に進出して大きな赤字を続けています。また〇〇〇に至っては一昨年〇〇〇に売却を行うなど、欧米的なロープライスマーケットは成功していないという現状です。

日本のデニム・ジーンズ産業の大きな特徴を説明しますと・・今日も大手デニムメーカーに関係する方がお見えになっていますが・・・ 紡績メーカーが大変積極的に、デニム生地の生産に対して設備投資を行っており、紡績工場でも過去からの技術的な蓄積を持っていますので、新しいデニム生地の開発に積極的なチャレンジを継続していることです。そして日本で開発・生産されたデニム生地は国際的にも高い評価を得ています。

また縫製の分野に関しては、皆様もご存知のとおり、JUKI・BROTHER・PEGASUS といった、世界の縫製マシンのリーダーシップを取っている企業が存在し、最先端の縫製マシンの供給を受けることが可能です。

さらに洗い加工の分野においては、私どもが世界に発信したストーンウォッシュ加工を基本として、常に世界に向けて新しいウォッシュ加工の提案を行い続けています。

その他の副資材としても、ファスナー、ボタンやリベット、ラベルなど、全ての業種が日本で開発され、生産を行い続けていることか、我々にとっても大きな力となっていることは否めません。

ジーンズの文化は、日本ではまだ50年あまりの歴史しかありません。ただし、先ほどよりお話ししているジーンズの生産に関わるほとんど全ての業種において、日本の伝統的な技術や日本人が古くから持つ感性が、ジーンズの生産の随所に残っているということが、大きな強みであると言えます。

それは、伝統的な着物の文化を始め、器(うつわ)や塗り物などの技法、絵画の技法、あるいは四季を感じるような色彩への感覚であったり・・これらの数値化することが難しい感性の部分は、現在でも様々なところで応用されています。

もう一つの特徴は、新しい機械の開発であり、精細さが要求される微妙なメンテナンスレベルの高さであり、それらの機械を使いこなすオペレーターのレベルの高さなどが挙げられます。

日本では、ジーンズの生産にたずさわるオペレーターは、生産者でありながら消費者でもあります。
ジーンズ生産にたずさわる縫製工場や洗い加工のオペレーターが、100ドルから200ドルのジーンズの消費者でもあり、高いレベルでの『消費者の感覚』を持った生産者であるということが、日本のジーンズ産業の大きな特徴と言えます。

もうひとつ、物づくりはパフォーマンスではありません。
いくら事務所やショールームが立派でも、現場の作業環境が悪ければ意味がありません。
一部の工場では、海外バイヤー向けの応接室はカフェのようで、トイレもきれいにされていますが、ワーカー用の休憩室やトイレは大変劣悪な環境であるというところもあるようです。
私は、現場がクリエートできていない工場では、付加価値のある商品は生まれてこないと考えています。

よく、人口一人あたりの本数でデニムの消費の少なさ(アメリカ 2.5本 ヨーロッパ 1.5本 日本 0.6本)
について話しをされる方も多くみられますが、日本は人口一人あたりの金額においてはかなり上位に位置すると思われ、そういった意味では成熟したマーケットであると言えます。

 

 

 

 

 

未来と課題

日本は物作りにコストが掛かります。価格競争ではなく、価値競争で勝っていかなくてはなりません。
日本のデニムビジネスは「神戸ビーフを目指す」と言うと大げさですが、醤油ベースの味付けをした他国と違うアプローチが今後も必要となります。

他社や他国で売れているものをアレンジするということは、つい陥りがちではありますが、それはコピー商品と捉えられ評価を得ることが出来ません。自分の型としなければ、オリジナルとは言えません。
若い人が勉強のためにトレースすることは重要ですが、それに自社のブランドを付けたときからコピー商品となり、ブランドの価値を落としてしまします。企業にとってブランドは命です。
全体の傾向、などというのは、デザイナーとしてはまだ二流であるということです。

そのためにもクリエイティブな能力を持った人材を教育することが今後の大きな課題となります。幸い日本の学生のデザイン感性は高く、各国の学生によるファッションショーにおいても高い評価を得ています。これはアジア全体としても言えることです。

しかし社会に出てから実践で勉強する場が少なくなっており、ファッション雑誌やメディアからの情報の受け売りと、勝手な勘違いからアーティスト気分になり、セミプロからプロになる過程において脱落する人間が多いことも事実です。
個性であるとかスタイルということは、自分で話しをすることではなく、相手に感じさせるものだと思います。

その背景には高校や専門学校や大学等の学生時代に、世界で最もファッションにお金を使える国であり(その理由は学生アルバイトでも月額5万円~8万円の収入が一般であり、その金額のうちかなりのウエイトがファッションに注ぎ込まれているからです)、その金額は40代の社会人より多いと言われています。このことがストリートファッションにおいて、日本が高い評価を受けている理由でもあります。

つまりスタートは他国に先行していますが、社会人になってからの成長が遅れていることが問題であると言えます。特に美的感受性が欠けてきます。

また消費者に話を聞いても、「今特に欲しいものはない」という考えを持った人々が多く、『何を新しく提案出来るか』、また品質の良さはもう当たり前になっているので、『どのように作られているか』、つまり物作りの履歴も説明し、≪安心出来るまともな商品作り これは真面目なだけでなく、社会的に、また人間としてルール違反をしない≫が重要となると考えます。

行き過ぎた例ですが、今日本では作り手の顔が見えないことが問題であるととらえ、生産者の写真を貼った野菜を店頭に並べて、「だから安心です」という売り方がよく見受けられますが、その生産者が安心な人かどうかは我々にはわかるはずもなく、もしかしたら地元では評判の悪い人かも知れない・・という笑い話もあります。

デニムは世界中で愛用されており、それぞれの国それぞれのデザイナーが新しい提案を行なっていますが、自分の国だけで通用するブランドでは今後の成長は難しく、他国においても通用するブランドであることが成長する上で不可欠であると考えます。
そこには物まねではなくオリジナリティが必要であり、考えるデザイナー・それを生産に結び付けられる人・それを作り出す生産工場・人を育てられる企業でなければならないと思います。
《たかがデニム、されどデニム》と日本では表現しますが、考え方により今後も新しい提案はどんどん生まれてくると考えています。

また最後になりますが、我々がジーンズを作り出す上で綿花は非常に大きなポイントになります。個人的ではありますが、自分が見てきた中ではアメリカにはデニムに適した綿花が多く、サンフォーキンにいたっては最もデニムに適していると感じています。安定した品質が保たれているということは、物作りの歴史と伝統から生まれるものであり、アメリカの農業の奥深さを見ることが出来るということを付け加えて話を終わらせて頂きます。

ありがとうございました。

イベント終了後のパーティーにて
小林さん 写真向かって一番左
貝原会長 写真向かって右から4番目
小泉   写真向かって左から2番目

WORDS of JEANS GODについて

日本のジーンズ業界において、過去にたくさんの偉人・奇人変人がおりました。(笑)
業界の人間ならば知らない人はいないというような方々ですが、その中でもおそらく最もたくさんの業界人から慕われた方であり、名実ともに日本のジーンズ業界を代表する存在として、小林道和氏という方がおりました。
現在ジーンズ業界で世界的に活躍する方たちにも『小林の弟子』を自称する方が何人もいらっしゃるようです。
残念ながら、日々の激務をこなす中で大変なストレスをため込み、病魔に襲われてしまい、病院に行くのが遅れて初めて通院した時には病気はすでにかなり進行していました。2014年12月17日、残念ながら帰らぬ人となってしまいましたが、今でも東京の下町谷中のお墓に眠る小林氏のところに献花に行く業界人は多いようです。
『小林さんほど綿花から製品の洗いまで機械に精通した人は世界にいません。2007年にはCCI国際綿花評議会とコットンインクの主催で「デニムグローバル・イベント」が上海で開かれ、「日本のジーンズマーケットの現状と特徴」をテーマに講演されました。世界のデニムミル、ジーンズメーカーが多数参加し、「日本に小林あり」とメードイン・ジャパンのジーンズを広く世界にアピールし、大変心強く思い、拍手を送ったのが数年前のような気がします。』
これはカイハラ株式会社の貝原良治会長が、2015年2月5日に行われた『お別れの会』で述べられた弔辞の中の言葉です。

私は幸運なことに、小林氏の部下として30年近く働かせて頂きました。
小林氏には、世界中のジーンズ関係機関やアパレル業界団体から講演のオファーが大変多く、本来は決して目立ちたがり屋な性格では無いのですが、『日本のジーンズ業界のためになるならば』と講演を引き受ける機会が多かったです。今、私の手元には、つい最近、本当に偶然に見つかった小林氏の講演の原稿やスライドの資料が少し残っています。

小林氏の弟子を自称自任するジーンズ業界の方も、小林氏の事を知らなかった方も、実際に講演を聞いたことのある方は少ないと思います。私が『WORDS of JEANS GOD』のコーナーに掲載する事により、小林氏の考えていた事を皆さんに知って頂けたら幸いです。
なお、掲載する講演資料には小売店さんや企業の固有名詞が多々出てきますので、該当部分は〇〇〇と修正しています。また、小林氏の講演当時の発言をそのまま記載したいと思いますので、講演当時と現在の状況が大きく様変わりしている内容もあります。
あくまでも小林氏の発言を『なるべく原文のまま』記載する事が趣旨ですので、ご理解をお願い致します。
講演内容は順次更新追加していきます。まず第一弾として、本稿前段で貝原会長が述べられていた『CCI国際綿花評議会 デニムグローバル・イベント2007上海』の原稿をアップします。