JEFF BECKとEDWINの話

現在ではジャパンデニムというのが世界で認知されているそうで、ジーンズブランドとしてはエビスジーンズさんや桃太郎ジーンズさん、キャピタルさん、FDMTLさんなどが海外で高い評価を受けているそうです。

これらのブランドはビンテージテイストや和テイストなど、世界のジーンズマーケットではあまり見られない個性的なジーンズブランドであり、メイドインジャパンのデニム生地や縫製、加工にこだわった素晴らしい日本を代表するジーンズブランドです。

そして、今回書くのは日本のジーンズブランド、エドウインの事です。

 

エドウインというと、エビスジーンズや桃太郎ジーンズとはぜんぜん違うジャンルの、量販店で売っているジーンズのイメージを持っている方も多い事と思います。

確かに現在の日本では量販店だけでなく、ホームセンターなどでも扱われている(らしい)ブランドですが、実はエドウインとは、過去にヨーロッパで大人気だったブランドです。30年ほど前には、ドイツ、オランダ、デンマークなどヨーロッパのたくさんの国で黄色地に赤いEDWINというロゴの看板を見かけたものです。

おそらく当時のヨーロパではエドウインが日本のブランドだと知っていた人はあまりいなかったのではないかと思います。ちなみに当時、日本からの繊維製品の輸出高ナンバーワンはジーンズ(エドウイン)だったそうです。

 

話は突然変わりますが、ロックギタリストに『3大ギタリスト』と呼ばれる有名な方達がいる事をご存知でしょうか?

ロック好きな方ならばすぐに名前が出てくる3人だと思いますが、一般的にはヤードバースに偶然在籍していた後に超有名になる3人のギタリストという事で、エリック クラプトン、ジェフ ベック、ジミー ペイジと言われる事が多いようです。しかし、人によってはここにジミ ヘンドリクスを入れたりします。これは個人的な好みの問題なので、正解は無いのだろうと思います。

 

この中で、ワタシが個人的に一番好きなギタリストは、なんと言ってもジェフ ベックです。ヤードバーズを離脱後には『ジェフベックグループ』として、後にスーパースターとなるロッド スチュアートをボーカルとして起用したり、現ローリングストーンズの〝ロニー〟ロン ウッドをベーシストとして起用し、活動していました。

ジェフ ベックのギタープレイや好きな曲を語り始めるとそれだけでブログが延々と続いてしまいますので止めておきますが(笑)米『ローリングストーン』誌の「最も偉大なギタリスト」ランキング5位の、世界を代表するスーパーギタリストです。

 

20年くらい前のある日、『シンコー・ミュージック・ムック 天才ギタリストJEFF BECK』という解説本みたいなのをペラペラとめくっていたら、ある一枚の写真に目が止まりました。

その写真は海外のスタジアムのような会場のステージで、ギターを弾いているジェフ ベックの後ろ姿なのですが、穿いているジーンズが間違いなくエドウインなのです。

当時のエドウインのヨーロッパ仕様は、後ろポケットミツマキ部分に黄色地に赤いロゴのピスネームが付いていました。ジェフの履いているジーンズには、はっきりと黄色いピスネームが付いているのが確認できます。

この写真のステージがいつだったのか以前確認した事があるのですが、忘れてしまいました。確か1983年くらいだったかと思います。時期的にも、ヨーロッパでエドウインがブレイクした時期と重なります。

後ろポケット拡大写真

 

当時、世界のジーンズマーケットでは、スリムフィットのジーンズというのはまだ出回っていなかったそうです。その理由は、当時のジーンズは着用を続けていくと縮んでしまうのでスリムフィットを維持する事が難しかったためであり、収縮率の入ったパターン(型紙)を世界に先駆けて使用した事や、それ以上縮まないくらいまで洗い込むストーンウォッシュ加工をエドウインやCLOSEDが開発し、商品化した事によりスリムフィットのシルエットをそのまま維持して履き続けられる高品質なジーンズが初めて完成したと言われています。

 

その当時のヨーロッパでは、当時は存在していなかったストーンウォッシュ加工されたスリムフィットジーンズが大変注目され、大人気となりました。しかし、当時のヨーロッパではまだストーンウォッシュ加工ができなかったため、ヨーロッパのジーンズブランドから、日本のエドウインにOEM生産を依頼されていた事もあったようです。

 

海外においてエドウインのジーンズは、プライスも高めになっていた事からいわゆるプレミアムジーンズの位置づけだったようで、愛用者にはジェフ ベックやヒューイ ルイスを始めとする有名ミュージシャンも多かったそうです。

 

その後、ストーンウォッシュ加工の技術は世界に広まって行きました。世界のジーンズブランドがエドウインのストーンウォッシュジーンズを参考にして開発を進めていったのですが、なかなか開発が成功しません。次第に、なぜ日本のジーンズの生地がストーンウォッシュ加工しても穴が開かないか、などの疑問が生じてきたようで、ストーンウォッシュ加工に耐える生地として、リングスパン糸を使用した日本のデニム生地が世界に認知されました。(当時の海外のデニム生地は、生産性が高く価格の安いOE・空紡糸を使用したものが主流だった。) その後、高品質なデニム生地にこだわって作り続けてきたカイハラさん・クラボウさんなどが世界より高く評価され、JAPAN DENIMとして輸出されていきました。

 

また、縫製に用いるステッチの糸がストーンウォッシュ加工によって切れてしまう問題も当然発生していたようです。エドウインと共にストーンウォッシュ加工に耐えるジーンズ専用の糸を開発したアズマ㈱のキンバコアヤーンやKPF(キンバ・ポリエステル・フィラメント)は海外のジーンズブランドにおいても高く評価されたとお聞きしています。

 

現在、JAPAN DENIMが世界において高く評価されている背景には、日本のジーンズ業界が総力を結集して開発したストーンウォッシュジーンズに対する海外からの高い評価があった事を、ぜひ皆さんに知って頂きたいと思います。

*写真全て『シンコー・ミュージック・ムック 天才ギタリストJEFF BECK ㈱シンコー・ミュージック刊』より

Pic Kohichiro Hiki様  貴重な写真ありがとうございます。

テレビニュースの取材の話

JEANS MEISTER ホームページ【EXPERIENCE AND KNOWLEDGE】の洗い加工の原稿を書いていたら、ふと昔あった事を思い出しました。あれは今から10年くらい前だったと思います。

どのような経緯だったかは忘れましたが、某テレビ局の夕方のニュース番組から取材要請が入りました。

内容は『中国広東省のある川の流域でガンの発生率が高い地域がある。その川の上流にはジーンズの工場があり、排水が川に流されているらしい。そのような状況だとどのような問題があるのか、工場の方に取材させて頂きたい』というものでした。

こちらとしては、『きちんとしている企業の代表としてコメントを求められる』という立場なので断る理由も無く、社名も工場名も全国ニュースに出るというので了承しました。

 

そして、それから数日後に工場が所在する某地方空港に、なかなかのイケメン男性ニュースキャスター氏が降り立ちました。ちなみにカメラマンは現地調達らしく、直接工場にお見えになるそうです。

私が空港まで迎えに行ったのですが、確か10時くらいに到着の便だったと思います。

空港出口から出てくる姿は、やはり一般人と違います。カッコ良い!!(^^)!

 

空港から一路工場へ。車の中でどんな話をしたかは忘れました。たぶん、ほとんど取材の話はしていなかったと思います。

工場に到着し、さっそくビデオ(DVDだったかも)も見せられました。そこには、中国らしき場所で青黒い水が川に流れだしている様子が。これがジーンズ洗い工場から流れ出している廃水だという事です。

 

ニュースキャスター氏がマイクを差し出し、工場長に聞きました。

キャスター氏『このようにジーンズを洗った青い水が川に流れているんですが、この状況だと周辺住民への健康被害も考えられますよね!!』

 

工場長『いやー、ジーンズ洗った水っていってもそんなに有毒なものは使っていないので、重大な健康被害は起きないとは思うんですが・・』

 

キャスター氏『流域ではガンになった方が他の地域に比べて多いとの事です。もしもこのような状況が起きているとすれば、周辺の住民がガンになる可能性もありますよね!?』

 

工場長『いやー、発がん性物質とかは全く使っていないので、ガンにはならないと思うんですが。。』

 

キャスター氏『では、魚などへの影響はどうですか?このような川にいる魚を食べた場合、健康被害はあり得ませんか?』

 

工場長『お魚は・・・どうでしょうね。食べたこと無いのでちょっと良く分かりませんが。。』

 

キャスター氏『では、ジーンズを洗った水に魚を入れたら、魚はどうなりますか?』

 

工場長『うーん、それはたぶん死にますね。。』

 

キャスター氏『ありがとうございました!』

 

それから10日後くらいだったと思いますが、テレビのニュースが放送されました。このニュース番組の中で、我々が取材を受けた内容は2~3分だったと思います。

工場での取材の映像になりました。キャスター氏が『中国の広東省でジーンズの工場から廃水が垂れ流されており、流域の住民にはガンになる方が多いんですが、このような状況だとどのような問題が起こりますか?』マイクを差し出すキャスター氏に続いて、工場長と私が映ります!

工場長『お魚』 『死にます』  (^◇^)(^◇^)(^◇^)

 

いやー、笑いました。あれほど有害物質や発がん性物質は使っていないと言っているのに、無理やりセリフを編集でつないで『お魚』・・・『死にます』(≧▽≦)

 

ちなみに、工場での取材は到着後およそ1時間程度で終了しました。

ずいぶん終わるの早いなー、などと思っていたのですが、キャスター氏が現地調達のカメラマン氏に『すみません。駅まで送ってもらっても良いですか?』と言って、そそくさとカメラマン氏の車に乗り込んで帰っていきました。

あのキャスター氏はあんなに早い時間から、いったいどこに行ったんでしょうか。。ずいぶんソワソワと急いでましたが。(笑) まあ、たまの地方出張なので、いろいろと行きたいところもあるんでしょうね。(^O^)

 

余談ではございますが、そのキャスター氏は出世され、現在は某テレビ局・報道局の局長になられておりました。。(^^)

 

トップ写真 工場長(当時)とワタシ。

 

 

 

 

日本のジーンズの歴史について(最終回)

一番最初にお断りしておきますと、ここから先はいろいろな方からお聞きした話や私が経験した事からの推測、また私の勝手な想像やほとんど創作に近い内容が混ざっています。ですからこの完結編は『フィクション』としてご理解ください。また、私の面識のない方のことも登場してしまいますが、もしも不都合や不愉快な思い、また間違いなどございましたら直ちに削除、訂正致しますので下記コメント欄にてご連絡頂けますようお願い致します。

 

前回までに書きましたように、日本のジーンズ業界においてCANTON・BIGJOHN・BOBSONの果たした功績は大変大きいものでした。しかし、その後のジーンズ製造において欠かせない大きな存在となったのは、WRANGLERだったと思います。

WRANGLERブランドの日本での存在は少しややこしくて、大きく分けると第一期の創成期、第二期のVF JAPAN時代、第三期(現在)になると思います。私が書かせて頂くのは、第一期の創成期の頃のお話です。

 

【VANジャケットとWRANGLER】

日本のファッションを語る上で、名実ともに大きな存在として『VAN ジャケット』があります。1948年に誕生したVANは、石津謙介氏を中心とした当時日本でのトップクラスのオシャレな数名の方達により創業しました。

1960年代にはIVYスタイルを日本のメンズファッションに提唱し大ブレイクしました。当時、背中に大きくVANと刺繍ワッペンの付いたスタジアムジャンパーは憧れのアイテムとなりました。

前述のとおり、当時の日本ではすでにBIG JOHNやBOBSONが国内ジーンズの生産を開始しておりましたが、それはまだジーンズというアメリカ生まれの丈夫な衣料品が生産販売され始めたばかりという状況でした。

 

そして、1967年のBIG JOHN創業から4年後の1971年に、その後の日本のジーンズ製造に大きな役割を果たしたWRANGLERが日本国内でデビューしました。

当時のWRANGLERのプロモーションなどを見ると、本当にカッコ良かったです。WRANGLERのポスターや広告などにはそれまで日本人にはほとんど知られてしなかった【ジーンズを履くアメリカのライフスタイル】が提案されていました。それは例えば、白い木造家屋の前の芝生の庭でオーバーオールとネルシャツで過ごすファミリーだったり、ジーンズを履いてアウトドアを楽しむ姿だったり。

当時の日本人の生活には存在しなかった、カッコ良いアメリカの一般家庭のライフスタイルが突然ジーンズのプロモーションに登場した理由は、WRANGLER(JAPAN)がVANジヤケットの流れを汲んで生まれたジーンズブランドだったからです。WRANGLER(JAPAN) は、VANジャケット・三菱商事・東洋紡という当時のトップ企業の協力なアライアンスにより設立しました。

 

【天才浜野安広氏とジーンズスタイル】

WRANGLERのスタートに際して、おそらく当時のメンバーはVANの若手社員が関わっておりました。当時の日本で一番オシャレで個性的な方達がディレクションしているワケですから、カッコ悪いはずがありません。また、これはほとんど私の推測ですが、おそらく当時のWRANGLERのブロモーションでは、天才・奇才との異名を持つ浜野安広氏も関わっていらしたと推測します。(浜野先生はライフスタイルプロデューサーとして現在もご活躍中です。)

 

浜野安広氏についてあまりご存知ではない方は、ぜひ調べてみて頂けるととても興味深い事をたくさん知る事ができると思います。もはや『生きる伝説レベル』の方です。

 

ちなみに余談ですが、私の亡義父は釣り好きで(私もです)釣り文学のコレクションを所蔵しておりました。その中に『さかなかみ』という浜野安広氏のフライフィッシングの著作もありました。浜野氏はライフスタイルプロデューサーとして数々の功績がありますが、個人の趣味としてアウトトドアやフライフィッシングを楽しまれていた方であり、当時のWRANGLERのプロモーションに登場する『ジーンズでアウトドアを楽しむスタイル』などというのは、浜野氏のアイデアの影響があるのではないかと勝手に思っています。

 

また、余談②ですが、私の師匠である故小林道和氏もやはり魚釣りが大好きな方で、私とはしょっちゅう一緒に釣りに行っていたのですが、小林氏が愛用していたロッドは5.6フィートのライトアクションのルアーロッドでした。

小林氏はキスやハゼなどを、オモリ4号くらいの仕掛けを使ってそのロッドで釣るのが大好きでした。後に小林氏氏から聞いた話では、そのロッドは当時東京でライフスタイルやカルチャーを生み出した某先輩から譲り受けた物だったそうで、おそらく浜野安広氏の周辺の方だったのだと思います。現在では、釣りの分野でルアーやフライというのは一般的ですが、おそらく1970年代に海外から入っていたスポーツフィッシングを知り、楽しんでいた方というのはまだまだ少数だっただろうと思います。つまり、日本のジーンズ創成期の方達は、かなりとんがった方たちだったという事だと思います。

 

余談③現在エドウイン社ではレディースブランドの『Something』を展開しておりますが、ブランド名は元々は浜野安広氏が所有していた『Something eles』という商標をエドウイン社が譲り受けてスタートしたと聞いております。

 

話がだいぶそれてしまいましたが、日本でのWRANGLERブランドはVANジャケットから移動したメンバーや天才浜野氏など、かなり日本人離れした当時の最先端の感性を持つ方たちのディレクションにより、それまで日本のジーンズブランドには無かった要素を持ってスタートしたのだろうと思います。

そしてWRANGLERブランドの誕生と同時に大きなポイントとなったのは、東洋紡が本格的にデニム生地の生産に関わった事だと思います。東洋紡と三菱商事がWRANGLERブランドのためにデニム生地の生産を開始した事により、国内のデニム生地の生産工場は大きく成長しました。

 

【Levi’s Japan】

『日本のジーンズの歴史について ②』で紹介させて頂きました『日本ジーンズ物語 著者 杉山慎策氏 発行 吉備人出版』の歴史年表によりますと、ラングラージャパンの設立と同じ1971年にリーバイスが日本支社を設立したと記載されております。しかし、私の印象としてはLevi’sブランドが日本に浸透したのは、BIG JOHNやBOBSON・WRANGLERよりもだいぶ後だったように感じます。確か当時の日本のジーンズブランド売上ランキングは、①BIGJOHN ②BOBSON ③WRANGLER ④EDWIN ⑤Levi’s の順番だったと記憶しています。

その後、Levi’sブランドはグングンと売り上げを伸ばし、日本のジーンズマーケットで勢力を拡大していきました。

もっともジーンズのオリジナルとして知られる世界ナンバーワンのジーンズブランドなのですから、それは当然の事だったと思います。

しかし、Levi’s JAPAN社が成長した要因のひとつとして私が想像するには、同社のメンバーのWRANGLERから分岐した方たちがいらした事が大きかったのではないかと思います。私の知る限り、当時の縫製や洗い加工の生産背景はWRANGLERとLevi’sはほとんど同じ工場だったと記憶しています。おそらく、WRANGLER時代からの人のつながりによってLevisブランドも成長していった部分が大きいのではないかと思います。また、WRANGLERと同じくLevi’sも、VANジャケットのDNAが引き継がれていたと言えるのではないでしょうか。

 

【サンダイヤという会社】

国内でのジーンズ生産が増加していった歴史の中で、重要な役割を果たした企業としてサンダイヤ㈱グループが挙げられます。

生産拠点は四国が中心でしたが、九州や秋田県にもサンダイヤの縫製工場が稼働していました。最大規模の時期には自社工場と協力工場のグループ全体で10工場ほどが稼働しておりました。

このサンダイヤという会社も元々は東洋紡や三菱商事と資本関係がありました。そして、日本国内でのWRANGLERブランドの主力生産グループでした。1980年くらいの時期、日本で最高のジーンズ縫製工場は徳島県阿南市にあったサンダイヤの工場だと言われておりました。当時の最先端設備を揃え、最高レベルのジーンズ縫製技術を持った工場と聞いておりました。

また、サンダイヤという会社には独自性が認められており、資本関係グループのWRANGLERだけでは無くLevi’sやEDWINのジーンズの生産も受注し、行っていました。

当時はまだあまりジーンズ縫製の技術が一般的では無く、専用設備も存在しない時代でしたので、日本のジーンズ縫製工場は直接的に、また間接的にサンダイヤグループを手本にしながら成長していきました。

また、縫製仕様やパターンなどもサンダイヤから学び、盗んで各社が独自の形として作り上げていったという経緯もあり、日本のジーンズ生産におけるサンダイヤ㈱の存在は大変重要なものでした。

 

まだ私が20歳代の頃、故長山さん(後にサンダイヤの社長になる方)によく言われておりました。

「あんたのところの仕様書もパターンもみんなワシのとこのマネや。よく見てみ。そっくりやないか。笑」

本当にその通りだったと思います。

(現在、サンダイヤ㈱は東洋紡グループとして休眠状態になっているようです。)

 

【日本のジーンズの歴史について】はこの回で終了と致します。大変お世話になった方やすでにお亡くなりになった方の事などを思い出しながら書いているうちにだいぶ長編になってしまいました。

先にも書きましたが、ここに書かれている事は諸先輩方からお聞きした話や、ほとんどフィクションレベルの私の想像も含まれています。多少、眉につばを付けながら読んで頂き、あきらかな間違いや不愉快な思いをおかけする部分がありましたらご指摘ください。即時訂正・削除致します。

私としては、先輩方が残した大変興味深い国内ジーンズブランドの歴史や、主に生産の部分でご尽力された方たちの偉大な業績を、このままだと誰も知らない歴史になってしまうという事を大変残念に思い、私がJEANS MEISTER小泉のホームページに書き残そうと思いました。

過去をいくら語っても仕方ないという方もいらっしゃるかと思います。しかし世界に誇る『JAPAN DENIM』の歴史を作り上げたジーンズ業界の偉大な先人たちの事はぜひ皆さんに知って頂きたいと思っています。

 

この【日本のジーンズの歴史について 完結編】を、公私ともに大変可愛がって頂きました元サンダイヤ㈱代表取締役社長 『長さん』こと故長山克彦氏に捧げます。

 

トップ写真

故長山さん 写真中央

写真右 貝原会長(カイハラ株式会社) 元気にご活躍中

写真左 田代会長(豊和株式会社)元気にご活躍中