ジーンズのリメイク・リサイクルの話

最近、古着ジーンズのリメイクやリサイクルなどの話を見聞きする事が増えてきました。

 

【繊維製品のリサイクル】

SDG’sへの取組が一般にも浸透してきた事も大きな要因ではあると思いますが、そもそも経済産業省では様々な分野でゴミの削減を進めるよう義務付けており、繊維製品に対してもアパ産協(一般社団法人日本アパレル・ファッション産業協会)に対して取り組みを求めてきました。

繊維業界として中心となっていたのはNPOファイバーリサイクル推進協会の木田先生を中心としたグループで、ジーンズ業界の団体であるジーンズ協議会においても木田先生を交え、20年くらい前から議論が行われてきました。

 

そもそも、繊維製品というのは簡単に焼却できますし、生ゴミなど水分を多く含むものを焼却するために繊維ゴミから作られたRPF(廃棄物からできている固形燃料) を添加したりするので、わざわざリサイクルする意味が分からないような部分もあり、繊維製品の3R(リデュース、リユース、リサイクル)が進まなかったという経緯があります。

 

特に、繊維製品においてはリサイクルの用途が大変限られています。繊維製品リサイクルで最も使用されているのは自動車の内装材であり、反毛(生地を綿に戻す事)をしてフェルトの原料になり、ボンネットやダッシュボードのインシュレーター、または成型してトラックの天井バネルなどに再生されています。

 

繊維製品のリサイクルとして製法や供給網が完成しているのがほぼ自動車の内装資材だけなので、繊維業界のあらゆる分野から製品の生産で発生するハギレや、『スーツ下取りキャンペーン』などで引き取られたウール製品などが自動車内装の分野に集中してしまい、各業界の取り合いのような事になっています。スーツ業界、学生服業界、大手小売店、ジーンズメーカーなど繊維業界各社の発表を見ても『回収された服は自動車の内装資材として有効にリサイクルされています』と書かれています。

しかし、果たして大量に回収された衣料品全てのリサイクルを、全て自動車内装資材でまかなう事ができるのでしょうか。

 

このような事から、繊維業界にとっては新たなリサイクル用途を開発する事が以前からの課題でした。

 

【綿繊維からバイオエタノール】

もう10年くらい前と記憶していますが、この分野で画期的な新技術が生まれ、繊維業界にとって大きな期待となったイノベーションがありました。それは、繊維製品の中でも最もリサイクルが難しい綿(セルロース)素材からバイオエタノールを作るという画期的な技術でした。この技術はそれ以前から繊維製品のリサイクルを研究していた岩元美智彦氏と東京工業大学でバイオエタノールの研究をしていた高尾正樹氏が立ち上げた『日本環境設計』によるものでした。

 

この技術を初めて知ったとき、その素晴らしい発想と技術に感動し、またその趣旨に大いに賛同し、第一期FUKU-FUKUプロジェクトのメンバーとして、イオンさんや良品計画さんと一緒に着古した服の回収を始めました。

繊維製品からバイオエタノールを精製するという技術はH&Mなどのグローバル企業からも大きく注目されたと聞いております。

 

その後、FUKU-FUKUプロジェクトはBRINGとプロジェクト名を変え、日本環境設計さんは現在ではかなり大きな会社になっているとお聞きしております。

しかし、私として残念だったのは、本来計画されていた『技術開発によりコストダウンして、繊維製品からバイオエタノールを作るコストをB重油やC重油レベルまで下げて、繊維製品から作られた燃料を一般的な燃料と同じように使用していく』という目標は、その時点(2018年時点)では達成されなかった事です。今後、繊維から作られるバイオエタノール燃料の販売価格が1リットルあたり60円くらいくらいになって、C重油と同等品として使用され、持続可能なリサイクル方法として世界の環境問題や燃料問題に対して大きな貢献をしていく事を信じております。

日本環境設計さんの今後の技術開発により、繊維製品から作られた燃料で、デロリアンだけでなく、普通の車が街を走る日が来ることを期待しております。

 

【古着リメイク】

古着リサイクルとかリメイクというのも最近良く見聞きします。今ではアパレルブランドからも自社製品をリメイクしたようなアイテムが発表されていたり、新鋭デザイナーズブランドが古着ジーンズを材料にしたアイテムをパリコレクションに発表したりというニュースも目にします。

 

これらの取り組みは大変素晴らしいと思います。古着の色落ちの違いをデザインに取り込み、考えつくされたジャケットなどはまさにSDG’sの実践であり、今後広がっていって欲しいと思います。

 

しかし、現実的には古着リサイクルというのは大変な手間がかかりますので、コストは新品の製品を作るよりも高くなる事がほとんどです。この傾向は古着リサイクルだけでは無くリサイクル全般に当てはまる事であり、例えばリサイクルペーパーやリサイクル技術で作られた生地などは、価格が高くなりすぎてしまい、現実的には一般商材としては流通していません。

『このジーンズはリサイクルで作られたデニムでできているから、地球環境やSDG’sを考えて高くても買います』という時代がいずれ来るのかもしれませんが、安価なファストファッションが主流の時代にはなかなかそぐわないようにも感じます。

 

【アップサイクル】

また、最近聞くようになった言葉に『アップサイクル』というのがあります。単なるリサイクルでは無く、作られる製品に新たな品質や機能、デザインといった付加価値を加えるという意味だと思います。

この発想は大変素晴らしいと思います。単なるリサイクルでは無い新たな魅力を創造してリサイクルにかかるコストを吸収するという事が、持続可能なリサイクルにおいて大変重要な要素です。

 

つまり、リサイクルにおいて持続可能な取組を実践するためのポイントは①生産コストを下げて、リサイクル製品であっても市場価格に一致した商材として成立させる。 ②リサイクルの材料を使用して、品質やデザインの魅力をアップして、元の商材よりも高付加価値(コストを吸収できる価格)の商材として生まれ変わらせる。

この二点が大変重要であると考えます。

 

【サービスエリアで売っていたリメイクバッグ】

最後になりますが、このブログトップの写真は以前高速道路をドライブした時に、どちらかのサービスエリアの販売エリアに出店されていた、ジーンズをリサイクルして作ったバッグです。

使用されているジーンズは、Levi’sや日本のブランドがほとんどで、おそらく日本のジーンズの古着が使されています。販売されていらしたのは、このバッグのビジネスをされている社長様の奥様だそうで、お話ししたところ縫製はベトナムで行っているとの事でした。

私はTRUE RELIGIONが大好きだったので、これを買いました。価格は確か2200円だったと記憶しています。

このバッグ、とても良くできています。裏付きの二重になっていて、外側に使いやすいファスナー仕様のポケットがふたつも付いています。

 

このようなジーンズをリメイクしたバッグや雑貨小物は日本でもときどき見かけます。以前は岡山空港でも見たような記憶もあります。

過去に日本で見かけたものは、だいたいが3500円とか5000円くらいと、かなり価格が高い印象があります。

もしもこれだけ凝ったリメイクバックを日本で作ったら、販売価格は1万円くらいになると思います。

 

これだけ良くできたジーンズリサイクルのバックが2200円で販売できるというのは、本来のリサイクル製品のあるべき姿なのでは無いかと思い、とても感心しました。

 

今回は、以前から私が経験してきた事や考えていた事を思い切って書いてみました。

内容に間違い、不愉快な点や不都合などがありましたら、遠慮なくご連絡ください。

また、実名を出させて頂きましたNPOファイバーリサイクル推進協会木田先生、日本環境設計株式会社の岩本会長殿、高尾社長殿、失礼致しました。たいへんご無沙汰しております。ご活躍の様子をいつも嬉しく拝見しております。 小泉澄雄.JEANS MEISTER®

Leeの話

Lee の話

今回はLee の話です。

とは言っても、現在のLEE JAPANではなく、かなり古い話です。

1986年~87年くらいの事でした。当時からLeeというブランドはアメリカ三大ブランドのひとつと言われる有名なジーンズブランドでした。当時Leeブランドは株式会社堀越商会という繊維商社が日本の販売代理店としてジーンズやGジャンなどの輸入販売を行っていました。

当時日本で販売されていたのは香港などで生産されていた物がほとんどでした。当時は200-00フルカットと200-01レギュラーフィットというジーンズがメインアイテムでした。

どのような経緯だったのかは良く知りませんが、1986年~87年からLeeの日本国内での取り扱いをエドウイン社が行う事になりました。エドウイン社は日本国内でのLeeブランドの製造と販売の権利を取得し、国内工場での生産が始まりました。

エドウイン社ではLeeブランドの取り扱うにあたり、大々的に展示会を行いました。展示会には全国からたくさんのジーンズショップの方が来場されました。当時は、全国に個人経営のジーンズショップがたくさんあり、ショップのスタッフさんは長髪、サングラス、ブーツといった厳ついアメリカンスタイルの方がたくさんで、ちょっと怖い感じでした。

あるスタッフさん(グランドファンクのメンバーみたいな方)が、エドウインが作ったLeeのジーンズを見て言いました。「こんなのはLeeじゃない。俺たちが好きだったLeeはこんなのじゃない」

その発言の意味や、そのスタッフさんの言いたかった事は私には良く分かりませんでした。その方は私よりも10歳くらい年上でしたので、経験してきた事や好きだったものが私とは違います。しかし、たぶんエドウイン社が作ったLeeは、当時としては現代的過ぎたんだろうと思います。

その時、エドウイン社でLeeジャパンを担当していたTさんがこう答えました。

「もうドゥービーもイーグルスもいないなんです。今、オレたちがやらなきゃいけない事は、オレたちが好きだったドゥービーやイーグルスを、俺たちというアンプを通して若いやつらに伝えて行く事なんじゃないですか?」

この発言にはシビれました。かっこ良い! そして、確かにその通りだと思いました。音楽もファッションも、いつの時代もみんなが何かからたくさんの影響を受けて、それを自分なりに表現しているんだと思います。エリッククラプトンがロバートジョンソンのクロスロードを聞いて、自分というアンプを通してクリームで自分なりのクロスロードを弾き、クリームのクロスロードやジェフベックの監獄ロックをコピーしたチャーさんが現在でも最高のギターを弾いているのと同じことなんだと思います。

Tさんは堀越商会でLeeのビジネスを担当していた方で、Leeブランドと一緒にエドウイン社に移動してきた方でした。相手のショップスタッフさんとも親しかったようです。Tさんの発言にそのショップスタッフさんも納得していらしたようです。

その後、Leeブランドは堀越商会時代を大きく超える大ヒットブランドとなりました。

ちなみにTさんはすごくカッコよい方でした。ルックスが良くて女性にはモテモテ。英語も堪能でした。歌もすごく上手くて、アコギを弾きながらチェンジザワールドなどを歌うと、男でも惚れちゃいそうなくらいカッコよかったです。

私はとても可愛がって頂きました。一緒に飲みに行ったりバス釣りに行ったり。Tさんが退職した後もずっとお付き合いは続いていました。しかし、その方は『不良』でした。とにかく不良で、ここに書けないような事が多々あり、あまりにも不良すぎて危ないので、だんだん疎遠になっていきました。()

繰り返しになりますが

「もうドゥービーもイーグルスもいないなんです。今、オレたちがやらなきゃいけない事は、オレたちが好きだったドゥービーやイーグルスを、俺たちというアンプを通して若いやつらに伝えて行く事なんじゃないですか?」

この言葉はずーっと心に刻まれています。そして、日本のジーンズメーカーのあるべき姿を表したような言葉だと思います。

Tさん、お元気かな。これを読んでくれたら、ぜひ連絡ください。

『 織りネームの発祥と歴史』

【福井県 織りネームの発祥】

先日、株式会社フクイさんを訪問した際に、土屋社長から小林さんの講演原稿を受け取りました。

いつの講演だったかは正確には覚えていないのですが、小林さんがジーンズ協議会の理事としてジャパンクリエーションなどで講演を依頼されたときの資料だと思います。

この講演では、小林さんは【日本の織りネーム】について話しています。

小林さんは常々『我々はジーンズメーカーと言うけれど、実際には生地や附属などの資材をメーカーから買って、組み立てているだけの企業であり、我々が作っているジーンズは日本が長い時間をかけて、地場産業として培ってきた、優れたモノ作りのかたまりである』と言っていました。

ジーンズにとって織りネームとは小さなパーツですが、フクイさんをはじめとする織りネーム企業も、日本のジーンズにとって大切なアライアンス企業であると考えていた小林さんらしい講演だと思います。

なお、この講演の原稿を作るために、小林さんと私、土屋社長で丸岡地区の重鎮の方から、昔の話などをお聞きして内容をまとめました。

内容に間違いなどがあるのかもしれませんが、過去の講演原稿ですのでお許しくださいますようお願い致します。

【日本の織りネームについて】

およそ80年前(正確には明治44 100年前) 福井県 坂井市 丸岡町の庄屋を中心とした人達が、京都西陣の指導を受け、『越前織』のルーツと考えられる織物を始めた。

当初は、広い土地を持つ庄屋が閑農期の仕事として、敷地内に織機を設置し、個人単位で行っていた。

特徴としては、西陣の『紋機』と呼ばれる織機を導入し、従来北陸地方で行われていたリボン製造の発展形である細幅織物を得意とした。

以後、細幅織物にマークを入れる【織りネーム製造】として発展としていく。

株式会社フクイの前身は、柳沢織ネームであり、1919(90年前)に創業している。

昭和期に入り戦争の時代を向かえ、織ネームの用途は軍需製品が中心となる。陸海空軍の階級章・帽章・マーク・郵便局・在京軍人会・大政翼賛会・国防婦人会等の徽章や肩章などの受注を受けていた。

戦争が終わり現代になり、今からおよそ50年前に、細幅のシャトル織機を自ら開発し導入した丸岡地区では、主に高島屋や伊勢丹など百貨店ブランドスーツのブランドネーム製造を行った。

また当時はスーツはオーダーが主流だった事から銀座のテーラーのネームなども手がけ、以後丸井がイージーオーダーメイドのスーツの月賦販売を始めたことにより、ブランドネームの需要も増加していった。

その後、JUNVANといったブランドが台頭し、百貨店やテーラーのネームから、アパレルブランドのネーム製造へと移行していく。

当時、丸岡地区には200社ほどの織りネーム工場があった。

アメリカでは、以前よりプリントネームが多く使用されている。一方、日本では織りネームが多く使用されており、糸の開発などの分野で進化を続けてきた。

【丸岡地区のクオリティ】

特に家庭に洗濯機が普及し始めた時代、家庭洗濯による織りネームの色落ちという問題が多発した。

丸岡地区では、織ネームに使用される糸の品質(染色堅牢度など)や調達の安定性を目指し、組合の共同事業として『丸岡ファインテックス協同組合』を設立し、独自のレーヨン・ポリエステル原着糸の供給体制を確立した。

一方、細幅シャトル織機による織りネーム製造の他に、レピア織機による製造方法がある。レピア織機は織った後にヒートカットされるため、ポリエステル100%の糸しか使用できない。

日本ダムでは、フクイとは別派として糸を調達しており、ポリエステルは糸染めされている。

フクイなど丸岡地区の産地としての特徴は、使用する糸の堅牢度など品質保証の体制が整っていること。

上海では糸の堅牢度は保証されておらず、試作して洗浄し、堅牢度が合格のものを使用するという体制。

【日本の織りネームの価値】

歴史と伝統を共有する地場産業としてのサプライチェーンが形成されている事により、同じ価値観を持った開発・品質保証が実現されている。

また、丸岡地区ではシャトル織機がメイン(生産量70)であり、綿糸など、ポリエステル以外の糸を使用する事が可能。ジーンズに採用されているネームなどでも綿経などが使用されており、ポリエステル以外の素材を使用することにより、洗い加工によって織りネームにもダメージ感が表現されている。

日本製のジーンズはビンテージ感の表現が優れており、織りネームなどにも褪せ(あせ)崩れといった感性は大変であり、商品としての最終的な顔を意図した開発ができる。

今後についても、安全性、安心といった分野も含め、価格競争できなく価値で生き残っていける事を目指していく。