日本のジーンズの歴史について(最終回)

一番最初にお断りしておきますと、ここから先はいろいろな方からお聞きした話や私が経験した事からの推測、また私の勝手な想像やほとんど創作に近い内容が混ざっています。ですからこの完結編は『フィクション』としてご理解ください。また、私の面識のない方のことも登場してしまいますが、もしも不都合や不愉快な思い、また間違いなどございましたら直ちに削除、訂正致しますので下記コメント欄にてご連絡頂けますようお願い致します。

 

前回までに書きましたように、日本のジーンズ業界においてCANTON・BIGJOHN・BOBSONの果たした功績は大変大きいものでした。しかし、その後のジーンズ製造において欠かせない大きな存在となったのは、WRANGLERだったと思います。

WRANGLERブランドの日本での存在は少しややこしくて、大きく分けると第一期の創成期、第二期のVF JAPAN時代、第三期(現在)になると思います。私が書かせて頂くのは、第一期の創成期の頃のお話です。

 

【VANジャケットとWRANGLER】

日本のファッションを語る上で、名実ともに大きな存在として『VAN ジャケット』があります。1948年に誕生したVANは、石津謙介氏を中心とした当時日本でのトップクラスのオシャレな数名の方達により創業しました。

1960年代にはIVYスタイルを日本のメンズファッションに提唱し大ブレイクしました。当時、背中に大きくVANと刺繍ワッペンの付いたスタジアムジャンパーは憧れのアイテムとなりました。

前述のとおり、当時の日本ではすでにBIG JOHNやBOBSONが国内ジーンズの生産を開始しておりましたが、それはまだジーンズというアメリカ生まれの丈夫な衣料品が生産販売され始めたばかりという状況でした。

 

そして、1967年のBIG JOHN創業から4年後の1971年に、その後の日本のジーンズ製造に大きな役割を果たしたWRANGLERが日本国内でデビューしました。

当時のWRANGLERのプロモーションなどを見ると、本当にカッコ良かったです。WRANGLERのポスターや広告などにはそれまで日本人にはほとんど知られてしなかった【ジーンズを履くアメリカのライフスタイル】が提案されていました。それは例えば、白い木造家屋の前の芝生の庭でオーバーオールとネルシャツで過ごすファミリーだったり、ジーンズを履いてアウトドアを楽しむ姿だったり。

当時の日本人の生活には存在しなかった、カッコ良いアメリカの一般家庭のライフスタイルが突然ジーンズのプロモーションに登場した理由は、WRANGLER(JAPAN)がVANジヤケットの流れを汲んで生まれたジーンズブランドだったからです。WRANGLER(JAPAN) は、VANジャケット・三菱商事・東洋紡という当時のトップ企業の協力なアライアンスにより設立しました。

 

【天才浜野安広氏とジーンズスタイル】

WRANGLERのスタートに際して、おそらく当時のメンバーはVANの若手社員が関わっておりました。当時の日本で一番オシャレで個性的な方達がディレクションしているワケですから、カッコ悪いはずがありません。また、これはほとんど私の推測ですが、おそらく当時のWRANGLERのブロモーションでは、天才・奇才との異名を持つ浜野安広氏も関わっていらしたと推測します。(浜野先生はライフスタイルプロデューサーとして現在もご活躍中です。)

 

浜野安広氏についてあまりご存知ではない方は、ぜひ調べてみて頂けるととても興味深い事をたくさん知る事ができると思います。もはや『生きる伝説レベル』の方です。

 

ちなみに余談ですが、私の亡義父は釣り好きで(私もです)釣り文学のコレクションを所蔵しておりました。その中に『さかなかみ』という浜野安広氏のフライフィッシングの著作もありました。浜野氏はライフスタイルプロデューサーとして数々の功績がありますが、個人の趣味としてアウトトドアやフライフィッシングを楽しまれていた方であり、当時のWRANGLERのプロモーションに登場する『ジーンズでアウトドアを楽しむスタイル』などというのは、浜野氏のアイデアの影響があるのではないかと勝手に思っています。

 

また、余談②ですが、私の師匠である故小林道和氏もやはり魚釣りが大好きな方で、私とはしょっちゅう一緒に釣りに行っていたのですが、小林氏が愛用していたロッドは5.6フィートのライトアクションのルアーロッドでした。

小林氏はキスやハゼなどを、オモリ4号くらいの仕掛けを使ってそのロッドで釣るのが大好きでした。後に小林氏氏から聞いた話では、そのロッドは当時東京でライフスタイルやカルチャーを生み出した某先輩から譲り受けた物だったそうで、おそらく浜野安広氏の周辺の方だったのだと思います。現在では、釣りの分野でルアーやフライというのは一般的ですが、おそらく1970年代に海外から入っていたスポーツフィッシングを知り、楽しんでいた方というのはまだまだ少数だっただろうと思います。つまり、日本のジーンズ創成期の方達は、かなりとんがった方たちだったという事だと思います。

 

余談③現在エドウイン社ではレディースブランドの『Something』を展開しておりますが、ブランド名は元々は浜野安広氏が所有していた『Something eles』という商標をエドウイン社が譲り受けてスタートしたと聞いております。

 

話がだいぶそれてしまいましたが、日本でのWRANGLERブランドはVANジャケットから移動したメンバーや天才浜野氏など、かなり日本人離れした当時の最先端の感性を持つ方たちのディレクションにより、それまで日本のジーンズブランドには無かった要素を持ってスタートしたのだろうと思います。

そしてWRANGLERブランドの誕生と同時に大きなポイントとなったのは、東洋紡が本格的にデニム生地の生産に関わった事だと思います。東洋紡と三菱商事がWRANGLERブランドのためにデニム生地の生産を開始した事により、国内のデニム生地の生産工場は大きく成長しました。

 

【Levi’s Japan】

『日本のジーンズの歴史について ②』で紹介させて頂きました『日本ジーンズ物語 著者 杉山慎策氏 発行 吉備人出版』の歴史年表によりますと、ラングラージャパンの設立と同じ1971年にリーバイスが日本支社を設立したと記載されております。しかし、私の印象としてはLevi’sブランドが日本に浸透したのは、BIG JOHNやBOBSON・WRANGLERよりもだいぶ後だったように感じます。確か当時の日本のジーンズブランド売上ランキングは、①BIGJOHN ②BOBSON ③WRANGLER ④EDWIN ⑤Levi’s の順番だったと記憶しています。

その後、Levi’sブランドはグングンと売り上げを伸ばし、日本のジーンズマーケットで勢力を拡大していきました。

もっともジーンズのオリジナルとして知られる世界ナンバーワンのジーンズブランドなのですから、それは当然の事だったと思います。

しかし、Levi’s JAPAN社が成長した要因のひとつとして私が想像するには、同社のメンバーのWRANGLERから分岐した方たちがいらした事が大きかったのではないかと思います。私の知る限り、当時の縫製や洗い加工の生産背景はWRANGLERとLevi’sはほとんど同じ工場だったと記憶しています。おそらく、WRANGLER時代からの人のつながりによってLevisブランドも成長していった部分が大きいのではないかと思います。また、WRANGLERと同じくLevi’sも、VANジャケットのDNAが引き継がれていたと言えるのではないでしょうか。

 

【サンダイヤという会社】

国内でのジーンズ生産が増加していった歴史の中で、重要な役割を果たした企業としてサンダイヤ㈱グループが挙げられます。

生産拠点は四国が中心でしたが、九州や秋田県にもサンダイヤの縫製工場が稼働していました。最大規模の時期には自社工場と協力工場のグループ全体で10工場ほどが稼働しておりました。

このサンダイヤという会社も元々は東洋紡や三菱商事と資本関係がありました。そして、日本国内でのWRANGLERブランドの主力生産グループでした。1980年くらいの時期、日本で最高のジーンズ縫製工場は徳島県阿南市にあったサンダイヤの工場だと言われておりました。当時の最先端設備を揃え、最高レベルのジーンズ縫製技術を持った工場と聞いておりました。

また、サンダイヤという会社には独自性が認められており、資本関係グループのWRANGLERだけでは無くLevi’sやEDWINのジーンズの生産も受注し、行っていました。

当時はまだあまりジーンズ縫製の技術が一般的では無く、専用設備も存在しない時代でしたので、日本のジーンズ縫製工場は直接的に、また間接的にサンダイヤグループを手本にしながら成長していきました。

また、縫製仕様やパターンなどもサンダイヤから学び、盗んで各社が独自の形として作り上げていったという経緯もあり、日本のジーンズ生産におけるサンダイヤ㈱の存在は大変重要なものでした。

 

まだ私が20歳代の頃、故長山さん(後にサンダイヤの社長になる方)によく言われておりました。

「あんたのところの仕様書もパターンもみんなワシのとこのマネや。よく見てみ。そっくりやないか。笑」

本当にその通りだったと思います。

(現在、サンダイヤ㈱は東洋紡グループとして休眠状態になっているようです。)

 

【日本のジーンズの歴史について】はこの回で終了と致します。大変お世話になった方やすでにお亡くなりになった方の事などを思い出しながら書いているうちにだいぶ長編になってしまいました。

先にも書きましたが、ここに書かれている事は諸先輩方からお聞きした話や、ほとんどフィクションレベルの私の想像も含まれています。多少、眉につばを付けながら読んで頂き、あきらかな間違いや不愉快な思いをおかけする部分がありましたらご指摘ください。即時訂正・削除致します。

私としては、先輩方が残した大変興味深い国内ジーンズブランドの歴史や、主に生産の部分でご尽力された方たちの偉大な業績を、このままだと誰も知らない歴史になってしまうという事を大変残念に思い、私がJEANS MEISTER小泉のホームページに書き残そうと思いました。

過去をいくら語っても仕方ないという方もいらっしゃるかと思います。しかし世界に誇る『JAPAN DENIM』の歴史を作り上げたジーンズ業界の偉大な先人たちの事はぜひ皆さんに知って頂きたいと思っています。

 

この【日本のジーンズの歴史について 完結編】を、公私ともに大変可愛がって頂きました元サンダイヤ㈱代表取締役社長 『長さん』こと故長山克彦氏に捧げます。

 

トップ写真

故長山さん 写真中央

写真右 貝原会長(カイハラ株式会社) 元気にご活躍中

写真左 田代会長(豊和株式会社)元気にご活躍中

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