JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 3

ブログ『JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻   』ともに、とても沢山の方に読んで頂きまして本当にありがとうございます。こんなにマニアック(とはちょっと違うのかなぁ・・)な内容に対して、これほど興味を持って頂けるとは思わなかったです。

 

それでは引き続き『JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 3』のスタートです。(^^)

前回解析したベルトから視線を下に進めると、コインポケットが目に入ります。これはファイブポケットジーンズの特徴でもある五つめのポケットで、元々は懐中時計を入れていたからウォッチポケットと呼ばれていたという説などもあるようです。一度ジーンズを穿きなれてしまうと、ジーンズ以外のトラウザースを穿いた時に小銭とか電車の切符(古っ!笑)  などを入れるところが無くて不便にすら感じるという、本当に便利な機能だと思いますよね。

 

さて、私が購入したLevi’sのブラックジーンズのコインポケット(以下コインPと略)を良―く見てみます。このジーンズのコインP付けは、工程としては向こう当て布(以下向う布と略)を袋布に付けた後に縫い付けられているので、袋布側にコインP付けの下糸が見えています。

コインP付けとは、一般的には2本針ミシンで縫い付ける工程です。2本針ミシンとは、文字通り針が2本付いているミシンの事で、だいたい7mmくらい(正確には6.4mm=1/4インチ または7.9mm=5/16インチあたりのゲージ)で縫製されるのが一般的です。

ところが!私のLevi’sを良―く見ると、2本針で縫製されていないのです。その根拠は、2本針ミシンで縫製した際に発生する、ある特徴が見られないからなのでした。

 

【2本針ミシンの種類】

ジーンズの縫製に使用される2本針ミシンには、大きく分けて2種類のタイプがあります。

そのうちのひとつは、2本針で縫製する際に、角の部分などで片方の針が上がる機構の付いている『片足上がり』タイプのミシン。ふたつめは、片足が上がらないタイプのミシンです。

片足上がり機構を使用した2本針ミシンの縫い目と、片足上がり機構を使わない場合の縫い目の違いはこんな感じです。ヘタな絵ですみません。

片足上がり機構を使った場合

片足上がり機構を使わない場合

 

片足上がり機構を使わない2本針ステッチの、世界で一番有名なのはこれですね。(^^)

片足上がり機構を使わない2本針の縫い目には、ある特徴があります。それは、角の部分で針を2本とも上げてから向きを変えて針を刺しなおすので、内側の糸が大きく1針分つながるのです。

そして、このステッチでは必ず、外側と内側の縫い目は同じ位置まで縫われているという現象が起きるワケです。これをジーンズマニアの皆さんの中には「三角」と呼ぶ方もいらしゃるようです。

またしてもヘタな絵ですみません。。(^_^;)

片足上がり機構を使わない2本針ミシンでの縫製の場合、この三角が現れるワケですが、正しい三角(笑)は外側ステッチと同じ位置まで縫われるので、三角が大きいのです。うーん、ご理解頂けたでしょうか?

 

そして本題の、私のブラックジーンズなのですが、三角になっています。しかし、良く見るとおかしなところがあるのに気づきます。それは、内側のステッチが外側のステッチと同じ位置まで縫われていないという事です。

この現象が発生している場合に考えられる、この工程の縫製方法としては、以下の2点が考えられます。

  • 超高性能の『ポケットセッター』というマシンを使用している。

いずれかの機会にメインコンテンツの【縫製】にて取り上げようと思っていますが、ジーンズ縫製の分野というのは自動化が大変進んだ時代がありまして、ポケット付け工程用としてポケットセッターと呼ばれる全自動のマシンが開発されたのが他のアパレル製品の製造分野と比較しても早かったです。

ポケットセッターというマシンは、元々はワイシャツの胸ポケット用として開発が完成されていましたので、技術的に流用できる部分が多かったのだろうと思います。

最新のポケットセッターは、ミシン部分にコンピーターミシンが使用されていますので、パソコンを使用した縫製パターンの入力を作成する事で様々なステッチが縫製できます。この入力データをいわゆるビンテージ風に作成し、いろいろな形状の三角を表現する事が可能です。

  • 実は1本針ミシンで縫製している。

コインP付けは2本針ミシンで縫製するのが一般的だと思いますが、このLevi’sの縫い目を見た限り、前述のとおり2本針ミシンで縫製された特徴がありません。とすると①の最新式ポケットセッターを使用している可能性はあるのですが、縫い目を良―く見てみると内側と外側のステッチ巾が微妙に一定では無い部分があるのに気づきました。もちろんポケットセッターでもこの縫い目は表現できるのですが、もっと簡単に考えると本縫いミシンで内側と外側を別々に縫っていると考えたほうが自然だと思います。

という事で、結論としてはこのジーンズのコインP付けは本縫いミシンで、ステッチ間隔0.7mmくらいで2回縫っているという事になります。

 

私がこの部分に何でそんなに興味を持ったかと言うと、『Levi’sの量産品のジーンズで、わざわざ工場に対して、コインP付けに1本針ミシンを使用するよう指示してまでビンテージテイストの雰囲気を表現している』という点なのです。

MADE IN JAPANのコダワリジーンズブランドなどであれば、ポケット角の三角などは珍しく無いとは思います。しかし、メキシコ製の大量生産の世界向けジーンズで、こんな風に細かい部分にコダワリを見せているLevi’sは流石ですね。(しかも内側からしか見えない部分ですからね。。笑)

おそらく、デザイナーや企画のスタッフに、ビンテージ好きな方がいらっしゃるんでしょうね。(^^)

 

ジーンズは世界中で愛用されていて、世界中で生産されています。こんな風にジーンズ一本買っただけで、遠いメキシコのジーンズ工場に思いをはせる事ができる【JEANS JOURNEY】は楽しいですねー。(^^)

最後に、カッコ良い2本針ステッチの写真を。BLUE ROUTEの佐井君が縫ったGジャンの衿先です。

ビンテージテイストなので衿先のステッチを三角にしているのですが、角度がきついので片足上げないと行きすぎてしまうので実は角部分で一針だけ内側ステッチの片足を上げて向きを変えているという、すごい芸の細かさです。(^O^)

そして、『JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 4』に続きます。(^^)

JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 2

前回のブログ『JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 1』は想像を超える反響の大きさでした。読んで頂きました皆様、本当にありがとうございます! 実は前回の内容で計算が間違えている部分に真夜中に気づき、慌てて修正したりしました。(^_^;) これほど興味を持って頂けると、嬉しい反面間違えた事を書いてはいけないという責任も感じます。引き続き『なるべく正確な』(笑)内容をお届けしようと思います。なお、間違いなどがあった場合、私にとっても勉強になりますので遠慮なくコメントください。以下のコメント欄でも、連携しているSNSでも結構です。(^^)

 

さて、それでは『JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 2』のスタートとなります。

このジーンズの解析を行うにあたり、どこから行こうかと考えてパッと目についたのがベルトです。なのでベルトから解析して行こうと思います。

このベルトの縫製仕様を見ると、ベルトの上のステッチと下のステッチが環縫い(かんぬい) で縫製されています。環縫い=チェーンステッチと呼ぶ方もいると思います。環縫いという縫製仕様は、いわゆる環縫いミシンを使用して縫製する方法で、ジーンズの縫製ではお尻とはバックヨークとか脇の地縫いとか、アチコチに使用されています。

 

ジーンズのベルト付けというのは他のトラウザースと全く異なる縫製仕様で作られています。ジーンズのベルトは、縫製工程としては前身頃と後ろ身頃が縫い合わされた後で、ウエストをぐるりと一周縫製します。スラックスなどでは、お尻部分で寸法出し(サイズを大きくしたり、詰めたり)できるように、ベルトごと後ろ中心で縫い合わされている物もありますが、ジーンズの場合にはお尻が縫い合わされた後でベルトが付けられていますので、後ろ中心で寸法出しする事は不可能です。

 

 

 

 

 

 

 

 

このベルトというのは、基本的には(カーブベルトなどで無い場合)一枚の生地をバインダーを通して二つに折り曲げて身頃に縫い付けられていきます。

 

ジーンズのベルト付けに使用されるミシンは世界には何機種が存在しています。古いものではユニオンスペシャル51800とか、最近ではPEGASUSミシンさんのTM625シリーズ、また海外では独デュルコップアドラー社などから発売されているかと思います。

(写真はBLUE ROUTEさんの51800  ホームページ https://www.blueroute.rocks/

このベルト付けミシンは、いわゆる多本針仕様になっています。例としてペガサスミシンさんのTM625B×04タイプでは、最多4本の針が取り付けられます。下のミシンの写真を見て頂くと、糸を通す皿状の部品がたくさん付いているのがお判りになるかと思います。

 

PEGASUSミシンさんのTM625シリーズ カタログ https://www.pegasus.co.jp/ja/imgs/machine/series/pdf/j_tm625_gen.pdf

 

なぜ4本も針が付けられる仕様が必要になるのかというと、一部のワーク系ジーンズなどでベルト付けを2本針で縫製するケースがある事が大きな理由かと思います。最近ではほとんど目にすることは無いですが、まれにベルト付け2本針仕様のビンテージ風ベインターパンツなどを見かける事もあるかと思います。

そして本題の、私が購入したLevi’sのブラックジーンズのベルト付けですが、実はこのベルト付けも2本針のミシンで縫製しています。ミシン針は針カブと呼ばれる部品で取り付けられているのですが、このジーンズのベルト付けミシンには2本の針の間隔が35mm(おそらく海外規格なのでインチですが)の針カブが使われており、ベルトの上と下を一度に縫製しています。

私が知る限り、最近のLevi’sのベルト付けは全て2本針環縫いミシンだと思います。

一般的にスラックスの縫製仕様では、ベルト付けはベルトと身頃を地縫いして、ベルトを返してステッチを入れます。ベルトにステッチが入る仕様では、ベルト付けの後でステッチを入れるので、絶対にジーンズのような上下環縫い2本針のベルト付けにはなりません。

ベルト付け環縫い2本針とは、とてもジーンズらしい、徹底的に生産性を追求されていた結果として出来上がった仕様になっていると言えます。

それでは、全てのジーンズがこのように2本針環縫いミシンで縫製されているのでしょうか? ぜひ皆さん、ご自分のジーンズを取り出して、じっくりと見てみてください。

 

私のLevi’sのように、2本針環縫いのジーンズもあると思いますし、中にはベルト付け(ベルトの下側)だけが環縫いでベルトの上(半周 以後ベルトコバステッチと呼びます。)は環縫いではなくて本縫いで縫製されているジーンズも多いと思います。

おそらく、日本のジーンズメーカーが作ったジーンズはベルトコバステッチは本縫いミシンで縫われている物が多いと思います。

環縫い2本針でベルト付けをすれば、工程数としては一工程で済むワケです。それではなぜ2本針では無くて、わざわざベルト付けを環縫いで縫製して、ベルトコバステッチは本縫いミシンを使っているのでしょうか?

私の知る限り、世界中のジーンズ縫製工場で使用されているベルト付けミシンは多針仕様です。日本のジーンズメーカーのジーンズも多針仕様のベルト付けミシンで縫製されていますので、針が2本取り付けられないという事はありません。

それではナゼ? ベルトコバステッチがわざわざ本縫いミシンで縫われているのでしょうか?

この理由はいくつかあるだろうと思います。私が経験した32年間にもベルト付けについて、とても色々な出来事がありました。様々な理由が複合的に考慮された結果、わざわざベルト付けとベルトコバステッチのミシンを分けるという仕様が生まれたと考えられます。

 

①ストーンウォッシュ加工で切れるから。

日本では、海外と比べてジーンズへのストーンウォッシュ加工の導入が早かったのです。そして、ストーンウォッシュ加工を行った際に、最もダメージが出やすい部分がベルトのキワでした。その後、試行錯誤により環縫いの下糸にポリエステルフィラメント糸を使用する事や、環縫いの上糸を極端に絞める事により糸切れを防止するという対策が世界中のジーンズ工場で取り入れられましたが、ストーンウォッシュ加工開発当初はまだ方法が分からなかったため、ベルトコバステッチを環縫いにすると糸が裏側(下糸側)でボロボロに切れてしまいました。そのため、ベルトコバステッチは切れにくい本縫い仕様になりました。

 

②カーブベルトというアイデアを考えたため

日本では、ストーンウォッシュ加工の開発成功と同時にスリムフィットジーンズを世界に向けてデビューさせました。

スリムフィットジーンズは極端にタイトなフィットのため型紙の特性上、ウエストの後ろ側が浮きやすく(ベルトの上が余るような状態)ベルトにカーブを付けたカーブベルトを取り入れたメーカーが多かったのです。カーブベルトとはベルトの型紙の上端と下端に最大4cm程度の差寸を付けていましたので、2本針で縫製する事は無理でした。そのため、ベルト付けとベルトステッチを分ける必要がありました。2本針ミシンは構造的に2本の針が同じストロークで動き、同じ運針ピッチとなりますので、並行する2本の縫い目しか縫製する事ができません。

 

③ベルト巾をやたらと変える

私が購入したLevi’sはベルト巾が42mmくらい(使用しているバインダーはインチ規格だとは思います)で針カブが35mmくらいです。これは私の想像にすぎませんが、このジーンズを縫製しているラインではベルトは全て42mmだろうと思います。なぜかと言うと、2本針環縫いの場合は針カブが固定なのでベルトのサイズを簡単には変えられないからです。

変えようと思えば変えられるのですが、もしも変えようとすると針カブを違うサイズに交換して、下糸側のルーパーの位置を動かして調整したりと大変な手間がかかります。なので普通は変えません。

とうことは、2本針の針巾が一緒である以上ベルトステッチの位置は決まってしまいますので、ベルトの巾も変えられません。

ところが、昨今のジーンズはファッションとして進化していますので有名無名ほとんどのデザイナーがジーンズをコレクションに入れています。そして、だいたいのデザイナーさんは感性で『ベルトはあと2mm狭く』とか『あと3mm細いほうが良いね』とかおっしゃいます。そもそも一般アパレルの分野ではベルト付けは地縫い返しステッチが標準ですので、ジーンズのベルト付けにバインダーが使用されているなどという知識はありません。

ジーンズを生産する側の立場から言わせて頂くと「エーッ、2mmくらい、変えなくても良いじゃん」とか思うワケですが、個性と感性が売り物のデザイナーさんからすれば譲れない部分なのだろうと思います。

そして、ジーンズの縫製工場では2mm違うくらいのベルト付け用のバインダーが増えていきます。

つまり、ベルト巾が変わる以上、2本針ベルト付けは無理なワケです。

 

④肌に当たると痛い

ジーンズを着用する際にベルトにTシャツなどをインしていれば問題無いのですが、夏場などにTシャツをジーンズから出して着たり、ローライズの下着を着用している女性などでは、ジーンズのベルトの裏側が直接地肌に触れます。特に最近のジーンズは、環縫いの下糸にフィラメント糸などの硬い糸を使用している事が多く、ベルト上のステッチに環縫いを使用すると裏側のボコボコした縫い目が地肌に擦れます。これは人によって、敏感肌の方とそうでもない方がいらっしゃるかと思います。ちなみに、私の肌は大変デリケートですので、先日Tシャツを出して着ていたら腰のあたりがチクチクしました。

この4点以外にも理由はあるかと思いますが、私の経験では以上の理由が大きいだろうと思います。これらをひっくるめて説明すると要するに『品質のため』という事になるかと思います。

良い、悪いというレベルの話では無いのですが、作業着として誕生したジーンズがファッションとなり、シルエットや洗い加工の多様化により、作業着としてのジーンズとファッションとしてのジーンズは一見そっくりなようで異なる進化をしてきたという事だろうと思います。

 

もう20年以上前ですが、国際的なミシンの展示会で海外のミシン改造メーカーと話した事があります。そのメーカーではベルト付け2本針環縫いのミシンに自社開発のアタッチメントを取り付けており、精度はかなり高く素晴らしい開発だと思いました。熱心にそのマシンを進めてくるそのメーカーのスタッフに『日本ではベルト付けは環縫いでベルトステッチは本縫いでやっている』と言ったら『ハア? アホチャウカ? (関西弁では無かったですが。笑)』と言われました。

たかがジーンズ、されどジーンズ。いろいろなジーンズがあって、様々な考え方があって、そして世界中のジーンズを生産する方たちが切磋琢磨するからジーンズ作りは楽しいんだと思います。(^^)

うーん。ベルト付けだけでブログ一回終了してしまいました。『JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 2』おしまいです。

まあ、趣味でやっているのでどんだけ長くなっても良いんですが。(笑)おヒマな方だけお付き合いくださいな。

最後まで読んで頂いてありがとうございます。乱筆乱文、誤字脱字などお許しください。(^^ゞ

JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 3』に続きます。

JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 1

JEANS MEISTERを名乗る以上、毎日ジーンズを穿いています。なお、最近やたらと食べ物や飲み物が美味しくて、気づいてみたら過去最大体重を更新中です。

そして、穿いていたジーンズがなぜだかどんどんきつくなっている。(理由は分かっているが。。)

毎日穿くジーンズなのに、穿けるのが2本くらいしかなくなってしまいました。(T_T)

という事でジーンズを補充する必要が出てきまして、久しぶりに買いました。新しいジーンズ。しかも2本まとめて大人買い!(すでにじゅうぶん大人ですが。。)

とは言っても、最近仕事中に車のタイヤにジーンズを擦ってしまうことが多く、ブルーデニムの腿のあたりとかに黒いタイヤのヨゴレが付いてしまい、ちょっと外出用には無理な感じになっていました。

そして考えた結果、どうせ黒いヨゴレが付いちゃうのならば、いっそ仕事用はブラックジーンズにしようと思い、ネット通販でいろいろと探しました。

私のブロフィールの最初のほうでお断りしているのですが、私はビンテージジーンズとか、コテコテのこだわりデニムなどにはあまり興味がありません。ただし、シルエットにはこだわりがありまして、ブーツカットしか穿きません。今どきブーツカットって珍しいですよね。(^^;  だいたい、ここ20年くらいブーツカットがすごい流行ったという事すら無いようにも感じます。

まあ、なぜ私がブーツカットを穿くのかという部分はまたの機会に説明するとして、Amazonや楽天でブーツカットのブラックを探しました。サイズはウエスト3●インチ×レングス3●インチという、ちょっと特殊なサイズでもあり、なかなか見つかりません。(昔、某社にリッチマンというブランドがありましたが、そのくらいです。笑)

そして!楽天でやっと、探しているジーンズを見つけました。私が求めているものジャストサイズのブーツカットのブラックジーンズ!それがこちらです!

なんの変哲も無い、特に目立った特徴も無いジーンズです。まあ、こだわりのジーンズマニアの方ならば全然興味を引かないようなジーンズだと思いますが、私としてはジーンズってだけでじゅうぶん興味深いのです。ということで、前置きが大変長くなりましたが、JEANS MEISTERらしく今回購入したジーンズをいろいろな角度から眺めて、じっくりと解析して行こうと思います。

なお、こういうのを始めると大変長くなると思います。一応今回のブログのタイトルは『JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 1』としていますので、後日続いて『2』『3』と展開していきます。果たしてどこまで続いてしまうのかは自分でも分かっていません。(^-^;

 

【今回今回購入したLevi’sのブーツカットジーンズを見ながらの考察】

① 企画および生産 品質表示ネームについて

このジーンズを購入した際の楽天ストアの商品説明で『USA企画』と書かれていました。現行のリーバイス・ジャパンの公式ホームページなどにもこの商品〝00517-0260〟という品番は無いようですので、WEBショップの説明のとおりUSAのLevi’sが企画したモノなのだろうと思います。なお、原産国表示はメキシコ製となっています。昨今、中国製品のアメリカへの輸出などが何かと話題になる事が多いですが、やはり輸送コストなどを考えるとアメリカで販売される製品はメキシコで生産されているケースが多いのでしょうね。特にLevi’sはサンフランシスコ発祥の会社ですので、お隣のメキシコでの生産が以前から続いているようです。

このジーンズの品質表示ネームを見て、まず大変興味深いのは品質表示の多国籍対応です。

ベルトの内側あたりに、ポリエステルのサテン織り(かな?)テープタイプの品質表示が4枚も付いています。

こういう品質表示の付け方はH&MとかZARA、GAPなどのいわるゆるグローバルブランドの製品の特長とも言えます。

この品質表示を良―く見てみると、書かれている会社の名前から、アメリカ(メキシコ・ブラジル含む)・韓国・日本・インドネシアでの販売に対応できるように品質表示が取り付けられているようです。

取り扱い表示については《MACHINE WASH COLD.DO NOT BLEACH》というお馴染みのアメリカの取扱表記、ヨーロッパおよび世界標準とされているISO取扱絵表示、日本向けの新JIS取扱絵表示、韓国の取扱絵表示の4パターンが記載されています。

この表示を改めてじっくりと見て、今回初めて面白いと気づいたのが韓国の取扱絵表示です。この絵表示、どこかで見覚えありますよね。そうです。いわゆる日本の旧JIS絵表示にそっくりなんです。へー、韓国の絵表示ってこんなだったのですね。旧JIS絵表示の、フラスコの絵の中に《エンソサラシ》と書かれている部分や、ドライクリーニングの丸い絵柄の中に《ドライ》と日本語で書かれた部分が韓国語に置き変わっているのです。

《韓国向けの取扱絵表示》

これは、どういう経緯なのでしょうね。まあ、韓国が日本の取扱絵表示を参考にしたという事は間違いは無いだろうと思います。そして参考にされた日本の取扱絵表示は、すでに旧JISとは全然違っており新JISの絵表示に変わっています。しかし、ISOと同じようで実は同じでは無いのでISO絵表示とISO絵表示みたいな新JIS絵表示が2行に記載されるという不思議な状況になっているのでした。

なお、品質表示ネームは3枚付いているのですが、この3枚を良く見ると2枚と1枚でテープの材質が違います。さらに良―く見ると、上についている取扱い表示と原産国、組成表示、注意表記が記載されているネームは印刷されています。そして材質が違う1枚には〝PC9-00517-0260〟という品番と〝W 3● L 3●〟〝●2cm〟などの品番やサイズといった可変部分に分かれており、こちらのテープの文字は印字(印刷ではない)になっています。

このあたりのテクニックはさすがLevi’sだと思います。内容が変わらない表示は印刷で大量に作り、対応できる全てのアイテムに同じネームを使用する事により手間とコストを抑え、内容が変化する部分だけ別のネームに印字して作っているワケです。ちなみに、ポリエルテルのサテン織り風テープに印字というのは、インクがテープに染み込みにくいため文字が薄くなってしまう事が多く、私の経験上、かなり難易度の高い作り方だと思います。これを実現しているあたり、さすがLevi’sですね。

ネームでもうひとつ興味深いのが、品質表示の3枚の隣に1枚だけで取り付けられているちょっと小さめのネーム。これには《CARE FOR OUR PLANET》と書かれており、続いて数か国語で書かれています。ネームをめくると裏面には日本語で「私たちの地球の為に。必要以上の洗濯は避け、水で、吊り干し、そして寄付またはリサイクルへ」と書かれているのでした。なるほど。お湯を沸かすためには電気やガスを使いますので、発電のためのエネルギーを使ってしまいます。ジーンズを干すときにも、乾燥機などを使うとやはりエネルギーを使ってしまいます。着用する人も環境に配慮してお湯ではなくて水で洗濯し、乾燥機を使用せずに天日で吊り干しするように訴える内容を表記する。地球を守るために自社製品から生じるカーボンフットプリントを削減しなくてはならないという理念は素晴らしいと思います。

《*カーボンフットプリント  一つの商品における原料の採掘や栽培、製造、加工、包装、輸送、および、購買・消費されたあとの廃棄に至るまでの、それぞれの段階で排出された温室効果ガス(温暖化効果ガス)である二酸化炭素 (CO2)などの総合計を重量で表し、商品に表示することをカーボンフットプリントと呼ぶ。引用元 Wikipedia *注 「フットプリント」の意味から考えても、カーボンウェイトとすべきだという批判もある 引用元 Wikipedia》

すでに3枚も付いている品質表示ネームに、さらに1枚、石油由来原料であるポリエルテル製のネームを追加して付けてまで(笑)企業ポリシーをアピールする姿勢は、さすがに世界のアパレルをリーダーであるLevi’sだと改めて感激しました。

 

②ジーンズに使用されている生地のウエイト(オンス)について

一般的にジーンズに使用されているデニム生地については、生地の厚さ(重さ)をオンスで表すという事が知られています。「このデニムはだいたい14ozだね」みたいな感じに使われます。デニムにお詳しい方ならば、触っただけで大体の生地ウエイトは分かるだろうと思います。

皆様も良くご存じのとおり生地のオンスとは『1平方ヤードあたりの生地の重量』を計測して算出します。つまり14ozとは1yd2の重さが398グラムの生地という事になります。それでは、今回私が購入したブラックジーンズは、果たして何オンスの生地を使用しているのでしょうか。

計算 (細かい部分はテキトー)

製品の重量は台所用メジャーで測ったところ825グラムありました。ちなみにこのジーンズのサイズは一般的なものよりもかなり大きい(≧▽≦)ので、その分重量は重いです。

このジーンズに使用されているツイルの生地の用尺は、ブーツカットというシルエットと大きなウエストサイズからおそらく1.5mくらいだと推測します。(^_^;) これは正確にはCADで型入れしてみないと分かりませんが、経験上そんなに誤差は無いだろうと思います。

そして、このパターン(型紙)の型入れの効率(歩留まり)は 80パーセント程度と予測しますので、生地の1mあたりの重量Ⅹ=825グラム÷1.5m÷8×10となり、X=688グラムという事になります。なお、この688グラムは1m×150cm(タブル巾)あたりの重量、つまり1.5㎡あたりであり、オンスに換算する場合には1yd2=0.84㎡ですので、0.84÷1.5=0.56%となり、1yd2の重量は385グラムという事になります。385グラム÷28.4グラム=13.5オンスですので、このブラックジーンズに使用されている生地のウエイトは13.5ozという事になりますね。

細かいことを言いますとジーンズにはボタンやファスナー、リベットなどの付属が付いていますし縫製に使用しているステッチ糸などの重量もありますので、実際にはもう少し軽いのだろうと思います。しかし、附属や糸の重量はせいぜいトータルで20グラム程度ですので、それ程大きな誤差にはならないだろうと思います。

ちなみに現在愛用しているストレッチデニムのブーツカットの重量を計測したら663グラムでした。つまり、上記と同じ計算をすると10.8オンスでした。実際に生地を触った感じもだいたいそれくらいのウエイト感です。という事で、この計算はほぼ間違いないだろうと思います。

 

しかし、こうやって見てみると、今回購入したブラックデニムのブーツカットってかなりヘビーウエイトですね。(-_-;) 実際、最近の暖かい日に穿いていたらかなり蒸れました。この先、夏に向かって行くことを考えると、このブラックジーンズはかなり暑そうです。今どきの生地で13.5ozってあんまり無いくらいの厚さです。

これは夏はちょっと無理だなあ。。

どこかに、12ozくらいのブラックツイルのブーツカットは売っていないでしょうか。。(^_^;)

 

*上記の内容について「計算が間違っている」とか「良くわからない」というご質問などあれば、お気軽に以下フォームよりご連絡ください。(^^)

『JEANS MEISTER.小泉 ジーンズを買うの巻 1』おしまい。そして2に続く

 

JEFF BECKとEDWINの話

現在ではジャパンデニムというのが世界で認知されているそうで、ジーンズブランドとしてはエビスジーンズさんや桃太郎ジーンズさん、キャピタルさん、FDMTLさんなどが海外で高い評価を受けているそうです。

これらのブランドはビンテージテイストや和テイストなど、世界のジーンズマーケットではあまり見られない個性的なジーンズブランドであり、メイドインジャパンのデニム生地や縫製、加工にこだわった素晴らしい日本を代表するジーンズブランドです。

そして、今回書くのは日本のジーンズブランド、エドウインの事です。

 

エドウインというと、エビスジーンズや桃太郎ジーンズとはぜんぜん違うジャンルの、量販店で売っているジーンズのイメージを持っている方も多い事と思います。

確かに現在の日本では量販店だけでなく、ホームセンターなどでも扱われている(らしい)ブランドですが、実はエドウインとは、過去にヨーロッパで大人気だったブランドです。30年ほど前には、ドイツ、オランダ、デンマークなどヨーロッパのたくさんの国で黄色地に赤いEDWINというロゴの看板を見かけたものです。

おそらく当時のヨーロパではエドウインが日本のブランドだと知っていた人はあまりいなかったのではないかと思います。ちなみに当時、日本からの繊維製品の輸出高ナンバーワンはジーンズ(エドウイン)だったそうです。

 

話は突然変わりますが、ロックギタリストに『3大ギタリスト』と呼ばれる有名な方達がいる事をご存知でしょうか?

ロック好きな方ならばすぐに名前が出てくる3人だと思いますが、一般的にはヤードバースに偶然在籍していた後に超有名になる3人のギタリストという事で、エリック クラプトン、ジェフ ベック、ジミー ペイジと言われる事が多いようです。しかし、人によってはここにジミ ヘンドリクスを入れたりします。これは個人的な好みの問題なので、正解は無いのだろうと思います。

 

この中で、ワタシが個人的に一番好きなギタリストは、なんと言ってもジェフ ベックです。ヤードバーズを離脱後には『ジェフベックグループ』として、後にスーパースターとなるロッド スチュアートをボーカルとして起用したり、現ローリングストーンズの〝ロニー〟ロン ウッドをベーシストとして起用し、活動していました。

ジェフ ベックのギタープレイや好きな曲を語り始めるとそれだけでブログが延々と続いてしまいますので止めておきますが(笑)米『ローリングストーン』誌の「最も偉大なギタリスト」ランキング5位の、世界を代表するスーパーギタリストです。

 

20年くらい前のある日、『シンコー・ミュージック・ムック 天才ギタリストJEFF BECK』という解説本みたいなのをペラペラとめくっていたら、ある一枚の写真に目が止まりました。

その写真は海外のスタジアムのような会場のステージで、ギターを弾いているジェフ ベックの後ろ姿なのですが、穿いているジーンズが間違いなくエドウインなのです。

当時のエドウインのヨーロッパ仕様は、後ろポケットミツマキ部分に黄色地に赤いロゴのピスネームが付いていました。ジェフの履いているジーンズには、はっきりと黄色いピスネームが付いているのが確認できます。

この写真のステージがいつだったのか以前確認した事があるのですが、忘れてしまいました。確か1983年くらいだったかと思います。時期的にも、ヨーロッパでエドウインがブレイクした時期と重なります。

後ろポケット拡大写真

 

当時、世界のジーンズマーケットでは、スリムフィットのジーンズというのはまだ出回っていなかったそうです。その理由は、当時のジーンズは着用を続けていくと縮んでしまうのでスリムフィットを維持する事が難しかったためであり、収縮率の入ったパターン(型紙)を世界に先駆けて使用した事や、それ以上縮まないくらいまで洗い込むストーンウォッシュ加工をエドウインやCLOSEDが開発し、商品化した事によりスリムフィットのシルエットをそのまま維持して履き続けられる高品質なジーンズが初めて完成したと言われています。

 

その当時のヨーロッパでは、当時は存在していなかったストーンウォッシュ加工されたスリムフィットジーンズが大変注目され、大人気となりました。しかし、当時のヨーロッパではまだストーンウォッシュ加工ができなかったため、ヨーロッパのジーンズブランドから、日本のエドウインにOEM生産を依頼されていた事もあったようです。

 

海外においてエドウインのジーンズは、プライスも高めになっていた事からいわゆるプレミアムジーンズの位置づけだったようで、愛用者にはジェフ ベックやヒューイ ルイスを始めとする有名ミュージシャンも多かったそうです。

 

その後、ストーンウォッシュ加工の技術は世界に広まって行きました。世界のジーンズブランドがエドウインのストーンウォッシュジーンズを参考にして開発を進めていったのですが、なかなか開発が成功しません。次第に、なぜ日本のジーンズの生地がストーンウォッシュ加工しても穴が開かないか、などの疑問が生じてきたようで、ストーンウォッシュ加工に耐える生地として、リングスパン糸を使用した日本のデニム生地が世界に認知されました。(当時の海外のデニム生地は、生産性が高く価格の安いOE・空紡糸を使用したものが主流だった。) その後、高品質なデニム生地にこだわって作り続けてきたカイハラさん・クラボウさんなどが世界より高く評価され、JAPAN DENIMとして輸出されていきました。

 

また、縫製に用いるステッチの糸がストーンウォッシュ加工によって切れてしまう問題も当然発生していたようです。エドウインと共にストーンウォッシュ加工に耐えるジーンズ専用の糸を開発したアズマ㈱のキンバコアヤーンやKPF(キンバ・ポリエステル・フィラメント)は海外のジーンズブランドにおいても高く評価されたとお聞きしています。

 

現在、JAPAN DENIMが世界において高く評価されている背景には、日本のジーンズ業界が総力を結集して開発したストーンウォッシュジーンズに対する海外からの高い評価があった事を、ぜひ皆さんに知って頂きたいと思います。

*写真全て『シンコー・ミュージック・ムック 天才ギタリストJEFF BECK ㈱シンコー・ミュージック刊』より

Pic Kohichiro Hiki様  貴重な写真ありがとうございます。

テレビニュースの取材の話

JEANS MEISTER ホームページ【EXPERIENCE AND KNOWLEDGE】の洗い加工の原稿を書いていたら、ふと昔あった事を思い出しました。あれは今から10年くらい前だったと思います。

どのような経緯だったかは忘れましたが、某テレビ局の夕方のニュース番組から取材要請が入りました。

内容は『中国広東省のある川の流域でガンの発生率が高い地域がある。その川の上流にはジーンズの工場があり、排水が川に流されているらしい。そのような状況だとどのような問題があるのか、工場の方に取材させて頂きたい』というものでした。

こちらとしては、『きちんとしている企業の代表としてコメントを求められる』という立場なので断る理由も無く、社名も工場名も全国ニュースに出るというので了承しました。

 

そして、それから数日後に工場が所在する某地方空港に、なかなかのイケメン男性ニュースキャスター氏が降り立ちました。ちなみにカメラマンは現地調達らしく、直接工場にお見えになるそうです。

私が空港まで迎えに行ったのですが、確か10時くらいに到着の便だったと思います。

空港出口から出てくる姿は、やはり一般人と違います。カッコ良い!!(^^)!

 

空港から一路工場へ。車の中でどんな話をしたかは忘れました。たぶん、ほとんど取材の話はしていなかったと思います。

工場に到着し、さっそくビデオ(DVDだったかも)も見せられました。そこには、中国らしき場所で青黒い水が川に流れだしている様子が。これがジーンズ洗い工場から流れ出している廃水だという事です。

 

ニュースキャスター氏がマイクを差し出し、工場長に聞きました。

キャスター氏『このようにジーンズを洗った青い水が川に流れているんですが、この状況だと周辺住民への健康被害も考えられますよね!!』

 

工場長『いやー、ジーンズ洗った水っていってもそんなに有毒なものは使っていないので、重大な健康被害は起きないとは思うんですが・・』

 

キャスター氏『流域ではガンになった方が他の地域に比べて多いとの事です。もしもこのような状況が起きているとすれば、周辺の住民がガンになる可能性もありますよね!?』

 

工場長『いやー、発がん性物質とかは全く使っていないので、ガンにはならないと思うんですが。。』

 

キャスター氏『では、魚などへの影響はどうですか?このような川にいる魚を食べた場合、健康被害はあり得ませんか?』

 

工場長『お魚は・・・どうでしょうね。食べたこと無いのでちょっと良く分かりませんが。。』

 

キャスター氏『では、ジーンズを洗った水に魚を入れたら、魚はどうなりますか?』

 

工場長『うーん、それはたぶん死にますね。。』

 

キャスター氏『ありがとうございました!』

 

それから10日後くらいだったと思いますが、テレビのニュースが放送されました。このニュース番組の中で、我々が取材を受けた内容は2~3分だったと思います。

工場での取材の映像になりました。キャスター氏が『中国の広東省でジーンズの工場から廃水が垂れ流されており、流域の住民にはガンになる方が多いんですが、このような状況だとどのような問題が起こりますか?』マイクを差し出すキャスター氏に続いて、工場長と私が映ります!

工場長『お魚』 『死にます』  (^◇^)(^◇^)(^◇^)

 

いやー、笑いました。あれほど有害物質や発がん性物質は使っていないと言っているのに、無理やりセリフを編集でつないで『お魚』・・・『死にます』(≧▽≦)

 

ちなみに、工場での取材は到着後およそ1時間程度で終了しました。

ずいぶん終わるの早いなー、などと思っていたのですが、キャスター氏が現地調達のカメラマン氏に『すみません。駅まで送ってもらっても良いですか?』と言って、そそくさとカメラマン氏の車に乗り込んで帰っていきました。

あのキャスター氏はあんなに早い時間から、いったいどこに行ったんでしょうか。。ずいぶんソワソワと急いでましたが。(笑) まあ、たまの地方出張なので、いろいろと行きたいところもあるんでしょうね。(^O^)

 

余談ではございますが、そのキャスター氏は出世され、現在は某テレビ局・報道局の局長になられておりました。。(^^)

 

トップ写真 工場長(当時)とワタシ。

 

 

 

 

日本のジーンズの歴史について(最終回)

一番最初にお断りしておきますと、ここから先はいろいろな方からお聞きした話や私が経験した事からの推測、また私の勝手な想像やほとんど創作に近い内容が混ざっています。ですからこの完結編は『フィクション』としてご理解ください。また、私の面識のない方のことも登場してしまいますが、もしも不都合や不愉快な思い、また間違いなどございましたら直ちに削除、訂正致しますので下記コメント欄にてご連絡頂けますようお願い致します。

 

前回までに書きましたように、日本のジーンズ業界においてCANTON・BIGJOHN・BOBSONの果たした功績は大変大きいものでした。しかし、その後のジーンズ製造において欠かせない大きな存在となったのは、WRANGLERだったと思います。

WRANGLERブランドの日本での存在は少しややこしくて、大きく分けると第一期の創成期、第二期のVF JAPAN時代、第三期(現在)になると思います。私が書かせて頂くのは、第一期の創成期の頃のお話です。

 

【VANジャケットとWRANGLER】

日本のファッションを語る上で、名実ともに大きな存在として『VAN ジャケット』があります。1948年に誕生したVANは、石津謙介氏を中心とした当時日本でのトップクラスのオシャレな数名の方達により創業しました。

1960年代にはIVYスタイルを日本のメンズファッションに提唱し大ブレイクしました。当時、背中に大きくVANと刺繍ワッペンの付いたスタジアムジャンパーは憧れのアイテムとなりました。

前述のとおり、当時の日本ではすでにBIG JOHNやBOBSONが国内ジーンズの生産を開始しておりましたが、それはまだジーンズというアメリカ生まれの丈夫な衣料品が生産販売され始めたばかりという状況でした。

 

そして、1967年のBIG JOHN創業から4年後の1971年に、その後の日本のジーンズ製造に大きな役割を果たしたWRANGLERが日本国内でデビューしました。

当時のWRANGLERのプロモーションなどを見ると、本当にカッコ良かったです。WRANGLERのポスターや広告などにはそれまで日本人にはほとんど知られてしなかった【ジーンズを履くアメリカのライフスタイル】が提案されていました。それは例えば、白い木造家屋の前の芝生の庭でオーバーオールとネルシャツで過ごすファミリーだったり、ジーンズを履いてアウトドアを楽しむ姿だったり。

当時の日本人の生活には存在しなかった、カッコ良いアメリカの一般家庭のライフスタイルが突然ジーンズのプロモーションに登場した理由は、WRANGLER(JAPAN)がVANジヤケットの流れを汲んで生まれたジーンズブランドだったからです。WRANGLER(JAPAN) は、VANジャケット・三菱商事・東洋紡という当時のトップ企業の協力なアライアンスにより設立しました。

 

【天才浜野安広氏とジーンズスタイル】

WRANGLERのスタートに際して、おそらく当時のメンバーはVANの若手社員が関わっておりました。当時の日本で一番オシャレで個性的な方達がディレクションしているワケですから、カッコ悪いはずがありません。また、これはほとんど私の推測ですが、おそらく当時のWRANGLERのブロモーションでは、天才・奇才との異名を持つ浜野安広氏も関わっていらしたと推測します。(浜野先生はライフスタイルプロデューサーとして現在もご活躍中です。)

 

浜野安広氏についてあまりご存知ではない方は、ぜひ調べてみて頂けるととても興味深い事をたくさん知る事ができると思います。もはや『生きる伝説レベル』の方です。

 

ちなみに余談ですが、私の亡義父は釣り好きで(私もです)釣り文学のコレクションを所蔵しておりました。その中に『さかなかみ』という浜野安広氏のフライフィッシングの著作もありました。浜野氏はライフスタイルプロデューサーとして数々の功績がありますが、個人の趣味としてアウトトドアやフライフィッシングを楽しまれていた方であり、当時のWRANGLERのプロモーションに登場する『ジーンズでアウトドアを楽しむスタイル』などというのは、浜野氏のアイデアの影響があるのではないかと勝手に思っています。

 

また、余談②ですが、私の師匠である故小林道和氏もやはり魚釣りが大好きな方で、私とはしょっちゅう一緒に釣りに行っていたのですが、小林氏が愛用していたロッドは5.6フィートのライトアクションのルアーロッドでした。

小林氏はキスやハゼなどを、オモリ4号くらいの仕掛けを使ってそのロッドで釣るのが大好きでした。後に小林氏氏から聞いた話では、そのロッドは当時東京でライフスタイルやカルチャーを生み出した某先輩から譲り受けた物だったそうで、おそらく浜野安広氏の周辺の方だったのだと思います。現在では、釣りの分野でルアーやフライというのは一般的ですが、おそらく1970年代に海外から入っていたスポーツフィッシングを知り、楽しんでいた方というのはまだまだ少数だっただろうと思います。つまり、日本のジーンズ創成期の方達は、かなりとんがった方たちだったという事だと思います。

 

余談③現在エドウイン社ではレディースブランドの『Something』を展開しておりますが、ブランド名は元々は浜野安広氏が所有していた『Something eles』という商標をエドウイン社が譲り受けてスタートしたと聞いております。

 

話がだいぶそれてしまいましたが、日本でのWRANGLERブランドはVANジャケットから移動したメンバーや天才浜野氏など、かなり日本人離れした当時の最先端の感性を持つ方たちのディレクションにより、それまで日本のジーンズブランドには無かった要素を持ってスタートしたのだろうと思います。

そしてWRANGLERブランドの誕生と同時に大きなポイントとなったのは、東洋紡が本格的にデニム生地の生産に関わった事だと思います。東洋紡と三菱商事がWRANGLERブランドのためにデニム生地の生産を開始した事により、国内のデニム生地の生産工場は大きく成長しました。

 

【Levi’s Japan】

『日本のジーンズの歴史について ②』で紹介させて頂きました『日本ジーンズ物語 著者 杉山慎策氏 発行 吉備人出版』の歴史年表によりますと、ラングラージャパンの設立と同じ1971年にリーバイスが日本支社を設立したと記載されております。しかし、私の印象としてはLevi’sブランドが日本に浸透したのは、BIG JOHNやBOBSON・WRANGLERよりもだいぶ後だったように感じます。確か当時の日本のジーンズブランド売上ランキングは、①BIGJOHN ②BOBSON ③WRANGLER ④EDWIN ⑤Levi’s の順番だったと記憶しています。

その後、Levi’sブランドはグングンと売り上げを伸ばし、日本のジーンズマーケットで勢力を拡大していきました。

もっともジーンズのオリジナルとして知られる世界ナンバーワンのジーンズブランドなのですから、それは当然の事だったと思います。

しかし、Levi’s JAPAN社が成長した要因のひとつとして私が想像するには、同社のメンバーのWRANGLERから分岐した方たちがいらした事が大きかったのではないかと思います。私の知る限り、当時の縫製や洗い加工の生産背景はWRANGLERとLevi’sはほとんど同じ工場だったと記憶しています。おそらく、WRANGLER時代からの人のつながりによってLevisブランドも成長していった部分が大きいのではないかと思います。また、WRANGLERと同じくLevi’sも、VANジャケットのDNAが引き継がれていたと言えるのではないでしょうか。

 

【サンダイヤという会社】

国内でのジーンズ生産が増加していった歴史の中で、重要な役割を果たした企業としてサンダイヤ㈱グループが挙げられます。

生産拠点は四国が中心でしたが、九州や秋田県にもサンダイヤの縫製工場が稼働していました。最大規模の時期には自社工場と協力工場のグループ全体で10工場ほどが稼働しておりました。

このサンダイヤという会社も元々は東洋紡や三菱商事と資本関係がありました。そして、日本国内でのWRANGLERブランドの主力生産グループでした。1980年くらいの時期、日本で最高のジーンズ縫製工場は徳島県阿南市にあったサンダイヤの工場だと言われておりました。当時の最先端設備を揃え、最高レベルのジーンズ縫製技術を持った工場と聞いておりました。

また、サンダイヤという会社には独自性が認められており、資本関係グループのWRANGLERだけでは無くLevi’sやEDWINのジーンズの生産も受注し、行っていました。

当時はまだあまりジーンズ縫製の技術が一般的では無く、専用設備も存在しない時代でしたので、日本のジーンズ縫製工場は直接的に、また間接的にサンダイヤグループを手本にしながら成長していきました。

また、縫製仕様やパターンなどもサンダイヤから学び、盗んで各社が独自の形として作り上げていったという経緯もあり、日本のジーンズ生産におけるサンダイヤ㈱の存在は大変重要なものでした。

 

まだ私が20歳代の頃、故長山さん(後にサンダイヤの社長になる方)によく言われておりました。

「あんたのところの仕様書もパターンもみんなワシのとこのマネや。よく見てみ。そっくりやないか。笑」

本当にその通りだったと思います。

(現在、サンダイヤ㈱は東洋紡グループとして休眠状態になっているようです。)

 

【日本のジーンズの歴史について】はこの回で終了と致します。大変お世話になった方やすでにお亡くなりになった方の事などを思い出しながら書いているうちにだいぶ長編になってしまいました。

先にも書きましたが、ここに書かれている事は諸先輩方からお聞きした話や、ほとんどフィクションレベルの私の想像も含まれています。多少、眉につばを付けながら読んで頂き、あきらかな間違いや不愉快な思いをおかけする部分がありましたらご指摘ください。即時訂正・削除致します。

私としては、先輩方が残した大変興味深い国内ジーンズブランドの歴史や、主に生産の部分でご尽力された方たちの偉大な業績を、このままだと誰も知らない歴史になってしまうという事を大変残念に思い、私がJEANS MEISTER小泉のホームページに書き残そうと思いました。

過去をいくら語っても仕方ないという方もいらっしゃるかと思います。しかし世界に誇る『JAPAN DENIM』の歴史を作り上げたジーンズ業界の偉大な先人たちの事はぜひ皆さんに知って頂きたいと思っています。

 

この【日本のジーンズの歴史について 完結編】を、公私ともに大変可愛がって頂きました元サンダイヤ㈱代表取締役社長 『長さん』こと故長山克彦氏に捧げます。

 

トップ写真

故長山さん 写真中央

写真右 貝原会長(カイハラ株式会社) 元気にご活躍中

写真左 田代会長(豊和株式会社)元気にご活躍中

日本のジーンズの歴史について 中編

日本のジーンズ製造のヒストリーと言えば、絶対に欠かせないのが岡山児島地区の果たした役割の大きさです。
岡山地区の歴史において、綿花栽培や染色産業の経験、また学生服の縫製においては当時の国内需要の9割を占めていたという事で、学生服の縫製設備やノウハウがジーンズ縫製の技術に有利だった事は間違いありません。
また、岡山児島地区の『イノベーションを生み出す風土』や新しい事に取り組むイノベーターとしての資質が、日本のジーンズを生み出す先駆者たちとして果たした役割は、大変偉大な功績と言えます。

備後地区、岡山地区、児島地区においてジーンズが生まれたストーリーについては、高い見識を持たれた大変優れた先生の著作『日本ジーンズ物語 著者 杉山慎策氏 発行 吉備人出版』に詳しく書かれています。日本のジーンズの歴史や21世紀のジーンズの在り方、また桃太郎ジーンズの真鍋社長様やキャピタルの平田社長様といった世界に知られるジャパンデニムの雄の方々と杉山先生の対談なども書かれており、皆様にぜひご一読をお薦めします。
特に、岡山県ご出身の方にとっては、ジーンズの話だけに留まらない岡山の歴史や県民性など、史学書としても興味深く読んで頂ける事と思います。

『日本ジーンズ物語 著者 杉山慎策氏 発行 吉備人出版』

岡山児島地区のジーンズ生産の歴史について、私のような中途半端な知識しか持たない者が書くことは分不相応ですので、そちらは『日本ジーンズ物語』にお任せして、私はもうひとつの日本のジーンズの産地である東北地方(秋田県・宮城県)について書いておこうと思います。
なぜ秋田や宮城のジーンズ生産の事を書こうと思ったかと言うと、たぶん現在でそのことを知っている人間が、日本中で数人だと思うからです。ジーンズ業界関係者で、誰かひとりくらい、先輩たちの歴史を語り継いで行っても良いのではないかと思います。

【関東の繊維産地、行田地区】
話は少し戻りますが、戦後から1960年くらいまでの間に大石貿易さんのCANTONや常見商店さんのEDWINが日本のジーンズブランドとして誕生しました。大石貿易さんは当初、岡山児島の学生服工場(後のBIG JOHN)に生産を委託していたそうですが、そもそも関東地区の企業である大石貿易やEDWINは、やはりできれば近場の産地で生産したいと考えました。そして、関東地区の繊維業の産地として当時から現在まで続くエリアに、行田・羽生・加須地区があります。行田市については、少し前にテレビドラマ『陸王』で足袋メーカーや工場などが大変有名になりましたね。
なお、この地域については様々な表記において『行田・羽生・加須地区』と書かれている事が多いのですが、表記が長いので以下『行田地区』とさせて頂きます。羽生の方、加須の方、ご容赦ください。

現在でも当時からの流れは変わっていない部分も多く、この埼玉行田地区は繊維産業の中でも主に作業着を得意としていました。埼玉県の縫製工場組合などを検索すると、作業着関係の工場が多くみつかります。
そして、1960年代当時、関東地区のジーンズブランドは行田地区の縫製工場に生産を委託していました。

先輩からお聞きした話では、当時の作業着業界では『ライフルマン』という企業が好調だったようで、行田地区にはライフルマンの生産を行う縫製工場が数社あったのだそうです。
現在も当時も変わらない傾向として、産地の中で仕事がどんどん増えてくると、工場間で社員の取り合いが始まります。また、社員としては少しでも賃金の高い工場で働こうと思いますので、おのずと賃金は上昇していきます。工場の社員の賃金が上昇すると、必然的に縫製加工賃も上がってきます。では、縫製加工賃を抑えるためにどうすれば良いかというと、より人件費の低い地域に生産拠点をシフトしていくという方法が取られるのが一般的です。これは、日本の繊維産業が中国生産へと徐々にシフトして行った状況や、現在の縫製工場が中国から徐々にベトナムやインドネシア、バングラディッシュにシフトしているのと全く同じ状況です。

【埼玉から秋田へ】
当時の行田地区の経営者たちやライフルマンの生産担当者たちは、埼玉県から移動していく先の産地として、秋田県や宮城県を選びました。私が公私ともに大変可愛がって頂き、東北地区にジーンズ生産を指導された故黒田会長(鳥海繊維・太平工業・現在は廃業)は秋田県の鳥海町という、鳥海山に向かう途中の自然が豊かな場所に縫製工場を設立されておりました。黒田会長とお話しすると、秋田弁ではなくて完全な北関東なまりで「やればできっからよー」などとおっしゃっておりました。私は黒田会長の他にも、秋田で縫製工場を経営している行田地区の方の数名と親しくお付き合いしてきました。

その後、行田地区で生産していたライフルマンブランドは秋田で生産されるようになっていきます。当時の同社は大変好調だったようで、秋田の地元の方と組んで自社工場のようなスタイルでも経営されていたようです。
ところが、1970年代半ば(正確ではありません)に突然、ライフルマンが倒産してしまいました。
ライフルマンと半共同経営をしていた秋田の経営者の方々からすればたまったものではありません。工場を新設して若い社員もたくさん雇用し、さあこれからというところで受注元が倒産してしまったのです。
困った経営者たちは工場の売却先を探し始めました。作業着の縫製工場ですので、設備としてはかなり厚い生地に対応できます。そして、その頃にちょうど国内のジーンズの生産が増加し始めていたタイミングで、秋田県のライフルマンの工場は一軒、また一軒とジーンズの縫製工場へとシフトしていきました。

【大石貿易・BIGSTONE】
日本のジーンズを語る上で欠かすことのできない存在である大石貿易さん。大石貿易さんがCANTONのデニム生地を輸入した事から、児島地区でのジーンズ生産が始まりました。一方では前述のとおり、関東の企業としてはできれば関東に近いエリアで生産を行いたいと考えたと思います。ネットで検索してみたところ、有名な老舗ジーンズショップである『ジーパンセンターサカイ』様のホームページ上にて「1963年 高畑縫製が大石貿易より生産販売を請け負う」と記載されておりました。なるほど。これは初めて知ったことです。後にリーバイスの国内主力縫製工場になる宮城県のタカハター株式会社さんは、1963年にはすでに大石貿易さんから仕事を受けていたのですね。
また一方で、大石貿易としても自社縫製工場を設立されておりました。この会社名が、 CANTONに続く自社ブランド名でもあるBIGSTONE(大石=BIGSTONE) であり、宮城県石巻市に東北ビッグストン、秋田県象潟市に秋田ビッグストン(廃業)という縫製工場を運営していました。どちらの工場も当時の日本としてはとても大きな工場で、秋田ビッグストンでは2ラインが稼働しておりメインの縫製ラインでは当時レディースブランドとして人気のあったエバーブルーの生産を行っておりました。

以上が意外と知られていないであろう、東北地区のジーンズ製造の歴史です。こうやって書いてみると日本のジーンズの歴史も栄枯盛衰、盛者必衰の繰り返しであることが良くわかりますね。

『日本のジーンズの歴史 中編』は以上となります。
次回『後編』は、ほとんど私の創作で【日本のジーンズとVANジャケットの関係など】を書くつもりです。
私の書き残すこのブログの文章が、どなたかのお役に立てれば幸いです。
この文章を、上記のネタを私に話してくれた故高井勝さん(元ウイング代表・アラオ縫製専務)に捧げます。

2006年 
故高井さん 写真向かって左
貝原会長 向かって右(元気にご活躍中)

日本のジーンズの歴史について

私がブログをやっている目的のひとつは、32年間のジーンズ業界でお世話になり、親しくお付き合い頂いた方々の事、その方たちからお聞きした貴重なお話しを、なんらかの形で書き残しておきたいという思いがあります。

残念ながら若い頃から無茶ばかりしていた先輩方はわりと短命で、生きていらっしゃれば現在まだ80歳手前くらいの方たちが何人もいらっしゃいます。その先輩たちからお聞きしたストーリーのひとつに『日本のジーンズの歴史』というものがあります。
なお、この話はあくまでもすでにお亡くなりになった先輩が話してくれた事ですので、間違っている部分や誇張されている部分もあるのかもしれません。あくまでも『私が聴いたお話し』としてご理解ください。また、明確に間違い部分をご存知の方は、ご一報頂けますと幸いです。

ご存知のとおり、日本は1945年まで戦争をしていました。そして、敗戦した日本は戦後の厳しい時代を迎えました。戦後はさまざまな物が不足していました。特にあまり農地がなかった東京都心では食料の入手は難しく、配給される食糧だけでは足りないので各地に営業許可を持たない闇市と言われる違法のマーケットが誕生していました。日本のジーンズと切っても切り離せない上野アメヤ横丁(アメ横) も、元々は戦後の闇市から発生した場所だったそうです。
当時、アメ横では食料の他に、様々な物資が販売されていました。戦後の物資不足の中でも、食品についで需要があったのは衣服類だっただろうと思います。特に東京は繰り返される空襲で、衣服が焼けて無くなってしまった人が多く、どのような衣服でも欲しいという需要があったと思います。

その頃、上野アメ横では、米軍からの払い下げ衣料品というものが売られていました。これらは米軍内で不要になった軍服や、米軍関係者が着用していた普段着などで、なんらかの経緯で米軍組織内にコネクションを持っていた(らしい)東京の業者が払い下げ品を購入して、闇市などで販売したものです。
上野アメ横周辺には、有力な払い下げ衣料品を扱う業者が3軒あったそうです。先輩からお聞きしたお話ではその三軒は『払い下げ三羽ガラス』と呼ばれていたそうです。
その中の一社が、後に初めての国産ジーンズを作り出したと言われている大石貿易(東京墨田区) であり、国産ジーンズの歴史を語る上で大変重要な『キャントン』『ビッグストン』『エバーブルー』といった創生期のジーンズブランドとジーンズ製造工場グループの全身です。

二社目は、マキノ商事(埼玉県大宮市)という会社だそうです。このマキノ商事という名前には皆さんあまり馴染みは無いかもしれません。アメ横には現在も『中田商店』さんという有名なミリタリーショップがありますが、米軍払い下げ衣料品の中には軍服が多数含まれていたはずなので、アメ横に現在でも本物の米軍払い下げ衣料品を扱っている中田商店さんがあるのは自然な事です。そして現在、本物の軍服と見分けがつかないほどリアルなミリタリーレプリカを生産されているメーカーとして『HOUSTON』というブランドが知られています。このHOUSTONブランドこそが、旧マキノ商事が立ち上げたオリジナルミリタリーブランドです。現在は、㈱ユニオン・トレーディング社として、以前から変わらぬコダワリのミリタリーアイテムを生産・販売されています。
おそらく米軍からの払い下げ衣料品を扱う中で、他社がジーンズ専業に進む道を選んだように、特に取り扱いの多かったミリタリーアイテムの専業メーカーを選ばれたのだと思います。
余談ですが、30年ほど前にマキノ商事さんが経営していた山形県の縫製工場に行った際に、マキノ社長様(当時)とお会いした事があります。たぶんすでに70歳くらいのご年齢だったかと思います。戦後日本の衣服の歴史に深く関与した偉人から直接、少しだけ昔のお話しをお聞きすることができたのは大変貴重な体験でした。

三社目は、当日アメ横にほど近い日暮里にあった『常見米八商店』です。当時の米軍の払い下げ衣料品は大変汚れた状態で入荷していたらしく、常見米八商店では汚れた衣服を洗濯してからアメ横のお店に卸していたそうです。
現在も、日暮里の常見米八商店があった日暮里の通りは生地屋さんや繊維問屋が並び、戦後からの名残を感じる事ができます。
常見米八商店ではアメ横に払い下げ衣料品を卸す際に「ジーパンをもっと持ってきてくれ。ジーパンが良く売れる」と言われていたらしく、払い下げ品の中でもジーパンをなるべく仕入れるようにしていたのだと思います。
以後、常見米八商店としても国産ジーンズを生産する事になり、1961年にエドウインが生まれました。
なお、EDWINの社名の由来は諸説あるそうで、『江戸で勝つ』ことを目指したブランド名であるという説や会社では『DENIMの文字を並べ替えてMをひっくり返した』と発表しているようです。ちなみに私が先輩からお聞きした話は、米軍払い下げ衣料品に関わっていた米軍関係者がEDWINという名前だったのでは?という説です。
昔の事を知る方からお聞きした話ですし、EDWINさんってアメリカ人では珍しくないお名前みたいですので、これが一番信ぴょう性があるように感じます。

続いて、私が先輩からお聞きした日本のジーンズ製造のヒストリーとなります。以下後編へ。

BLUE ROUTE訪問記 後編

前編のおさらい
JEANS JOURNEY初の本当のJOURNEYとして、操業3年目のジーンズアトリエBLUE ROUTEさんにお邪魔しています。まあJOURNEYといっても東京から車で一時間くらいですが。
佐井さんとのやり取りを対談形式でお伝えしています。前編からご覧頂きませんと、以降の内容が理解できないかと思います。ぜひ前編をご一読ください。

佐井「でも一番価値があるのはこれですかねー。」
と言って、壁に掛けてあるデニムのバナーをピラッと外しました。そこにあったのは、何と!Σ(・□・;)



小泉「これって、本に載っていた写真で見た事あるよ!」
(オールド・ジーンズ ㈱ワールドフォトプレス刊 マイケル・A・ハリス著 中村省三氏訳 P71上段写真)
『おそらく1880年代に製造されたと思われる「ボス・オブ・ザ・ロード」ジーンズの右フロントポケットのクローズアップ写真。ステッチングは極めて粗雑である。ポケットの装飾ステッチは、その前のズボンがシングル・ライン゜だったのに、このズボンではダブル・ラインになっている。ここでも新たな情報から、このズボンはイノシュッター・ブラザーズ以外の別の会社によって製造されたものだろうと私は考えるようになっている。』
(引用元 オールド・ジーンズ ㈱ワールドフォトプレス刊)

佐井「そうです、そうです。それの実物です。130年くらい前のジーンズです。」
まあ、ジーンズのプロである我々としては、こういう物を所有していても不思議では無いのですが、膝から下が千切れていて履けないようなジーンズを〇〇万円も払って買ってしまうとは、やっぱりちょっと変だと思う。(笑)
ちなみにこれも奥さんには内緒だそうです。

*************
小泉「でもやっぱり、佐井さんの一番の得意技はパターンなんだよね?」
佐井「そうですね。特にオーダージーンズはパターンから起こしてますから。」
確かに壁には、カットしたパターンが大量に吊り下げられています。これは一人のお客さんにひとつのパターンという、オーダージーンズらしい光景ですね。

小泉「佐井さんの考える、ジーンズの『良いパターン』ってのはどういうモノなの?」
佐井「うーん、最近少し考え方が変わってきましたね。以前は、ジーンズらしいパターンが良いと思っていたので、あまりカーブを使わない、縫いやすいパターンを作っていました。」
小泉「まあ、ああいうの(壁に飾ってあるジーンズ)なんかは、脇も内股も尻もほとんどが直線だもんね。」
佐井「そうです、そうです。でも、本来、キレイにフィットするパターンっていうのは内股とか尻ぐりもカーブをしっかり付けて、特に内股なんかはカーブがきつ過ぎて途中で仮止めしとかないと縫えないみたいな、とても縫いにくいモノだと思うようになりました。それは、いろいろなアパレルさんのサンプルを縫製したり、オーダージーンズのパターンを作るようになって実感しました。以前大手ジーンズメーカーで働いていた頃にはそんなパターンはあり得なかったですから。」
小泉「そうだよね。それが現代風のジーンズのパターンなんだろうね。素材も多様化しているしね。うーん。良い話が聴けました。」

小泉「これからどんな仕事したいと思っているの?」
佐井「とりあえずこれからはボトムスだけじゃなくてデニムジャケットも通販でやって行こうと思っています。通販のアイテムを徐々に増やして行こうかなと。あとは、ペットのウエアとかもやりたいです。せっかくオーダージーンズやっているので、ワンちゃんと飼い主さんのペアルックとか。可愛いと思いませんか?」
小泉「あー、それは良いと思う。可愛いよね。」
佐井「あとは、以前知人の紹介で百貨店での催事イベントをやっている方を紹介して頂いて、一度は藤沢駅のビルで催事をやるのでお誘い頂いたんです。(佐井さんの住居は藤沢です。) そういう所にBLUEROUTEとして出店させて頂き、自分で販売とかもやってみたいです。とにかく、自分が楽しいと思える仕事をしていきたいですね。」

ご実家だった場所を自分で改築してカッコよく作り直して自分の好きなジーンズアトリエを始め、電子ドラムセットとZO-3ベースとアンプ内蔵ギターをセッティングしてバンドの練習ができるようにしたり(ときどき一緒にバンドもやっています。)サーフィン関係のディスプレイなどで好きなように飾り付け、それを奥さんにはほとんど内緒でやっている(笑)佐井さん、男の人生を楽しんでいるなと思います。さすがです。(^^)

佐井「ただ、ひとつだけ思うのは、会社に行っているときには一日中同僚社員と一緒にいて、いろいろと話したり、仕事帰りに飲みに行って誰かの悪口を聞いたり(笑)誰と誰がデキているとか、そういう他愛も無い話をしていて、当時はそれが面倒くさいなとか思っていたんですが、今となってはそういう環境にメチャ飢えています。(笑)   今は藤沢の自宅からバイクで通勤して、一日中一人で誰とも会わず、誰とも話さない日とかもあって、すごく寂しいと思うことがあります。今日は小泉さんが遊びに来てくれて嬉しいですー(ToT)/~~」

(笑) まあ、無いものねだりというヤツだとは思いますが、佐井さんはとても寂しいらしいです。(^O^)
世界に一本しか無いオリジナルのジーンズを作ってみたいと思う貴方! ビンテージマニアで佐井さんのレアなコレクションを見てみたいと思う方、以前からの佐井さんのお友達の方、ぜひ神奈川県方面に行かれる機会がございましたら綾瀬市厚木基地近くのBLUE ROUTEさんに遊びに行ってあげてください。

BLUE ROUTE
アトリエのご案内(要予約)
〒252-1132
神奈川県綾瀬市寺尾中4-3-2
TEL.FAX 0467-38-7701

BLUE ROUTEホームページ
https://www.blueroute.rocks/
インスタグラム
https://instagram.com/blueroute_jeans?igshid=1u6o1qz9y5c07

BLUE ROUTE訪問記 前編

今回はJEANS JOURNEYというタイトルにふさわしく、近距離のJOURNEYをしてみようと思い立ち、最近本格的なオーダージーンズが作れることから一部で話題になっている『BLUE ROUTE』というジーンズアトリエさんにお邪魔しました。BLUE ROUTEの佐井さんとの付き合いは古く、公私ともに親しくお付き合い頂いております。実は最近会ったのは3週間くらい前で、正月の1月3日に二人で釣りに行ったばかりです。富士山の麓、極寒の御殿場でルアーやフライフィッシングを楽しんできました。正月の御殿場での釣りはすでに20年近くの恒例行事になっています。その日の事はBLUE ROUTEさんのインスタに投稿されていましたのでぜひご覧ください。
インスタ アドレス https://www.instagram.com/p/CJlOlzGDqU0/?igshid=1obwz008ury0k

BLUE ROUTEさんの所在地は神奈川県の綾瀬市にあります。車で行く場合には、圏央道の海老名インターで降りて横浜方面に戻る感じになります。海老名インターを降りて10分ほど車を走らせると上空のかなり低い所を、巨大な見慣れない飛行機が飛んでいます。綾瀬市には、終戦の時にマッカーサー元帥が降り立った事で知られる厚木基地がありまして、BLUE ROUTEさんのご近所にもアメリカっぽい雰囲気のレストランなどがあったりします。

以下、対談形式とさせて頂きます。(一度やってみたかった 笑) BLUE ROUTE佐井さんは敬称略とさせて頂き『佐井』、JEANS MEISTER小泉は『小泉』とさせて頂きます。

小泉「お忙しいところお時間を頂きありがとうございます。佐井さんっていま何歳なんだっけ?」
佐井「49歳ですけど来年の年明けに50歳になる年齢です。」
小泉「21歳で就職したんだよね。おー、ってことはすでに俺たちの付き合いって29年間になるんだ。
長っ!(・o・)」
佐井「そういう事になりますねー。」
小泉「そうだよなー。そうか。ってことは20年くらい前、真夜中に丹沢湖でサクラマス狙った時にもいたんだっけ? (ちなみに神奈川県では丹沢湖というところは自殺の名所として有名で、橋からお飛び降りになる方が多いらしい。そんなところの橋桁に降り立って一晩中釣りをするのは異常な行動でしか無い。笑)
佐井「いましたよー。あとは茅ケ崎の柳島で真夜中にシーバス狙ったり、栃木の管理釣り場と埼玉の管理釣り場を一日でハシゴしたり。狂っているとしか思えない。笑」
と、釣りの思い出話が延々と続くのですが、カットします。

小泉「BLUE ROUTE始めて3年だよね。今はどんな仕事が多いの?」
佐井「アパレルメーカーからのサンプル縫製の依頼がだいたい半分くらいです。パターンはアパレルさんから送られて来ることが多いんですが、パターン作成から依頼される事もあります。あとの半分がオーダージーンズという僕のオリジナルの仕事で、お客さんの要望通りにジーンズを作ります。今日も午前中に遠方から完成したジーンズを受け取りに来たお客さんがいらしたんです。」
小泉「オーダージーンズって、どういう人が作るの?」
佐井「うーん、本当にいろいろな方がいらっしゃいます。すごいビンテージジーンズに詳しい日本を代表するようなジーンズマニアの方もいらっしゃるし、自分で描いたデザイン画を何点もお持ちになって、そのデザイン画からパターンを起こして仮縫いして、再度確認のためにご来店されてパターンを修正して、最終的に自分のオリジナルジーンズができるまでのプロセスを楽しむ方とか。 オーダージーンズについては、とにかくお客様のご要望に可能な限り応えるという事を、自分のスタイルとして意識しています。ですから、コッテコテのビンテージレプリカの仕様で作りたくて、他のオーダー屋さんで断られてしまった方なんかもお見えになって、僕は可能な限りやりますのでとても喜んで頂けます。そういう方がリピーターになってくださったり、お友達を紹介してくださったりして、徐々にですがオーダーの仕事は増えています。」

小泉「でも、そもそも佐井さんって特にビンテージマニアって感じでは無かったよね? どっちかというと以前はハーレーに乗っていて、70年代的なテイストのイメージがあるけど。ビンテージっていうよりは古着が好きって感じだった気がする。」
佐井「確かに古着は昔から大好きでした。ビンテージっていうよりはアメカジ全般ですかね。70’sテイストは大好きです。今もサーフィンやったりしてますし。でも、ビンテージも好きなので、何点か持ってますよ。」
と言って、無造作にテーブルに積み上げられていたGジャンを広げて見せてもらいました。
おお! 写真を見てください。なんとびっくり、本物のLevi’s ファースト、セカンド、サードです。(・o・)

ファースト

セカンド

サード

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小泉「これ、いくらしたの?」
佐井「オークションとかでワリと安く手に入れたんですけど、これとこれが〇〇万円くらいです。」
小泉「(-_-;) よく奥さんに怒られないよねー。」
佐井「いえ、奥さんには言ってません。笑 内緒で買っています。まあ、こんなボロボロのGジャンとかがそんなに高いとはまず思われないので。」
それはそうである。
佐井「でも一番価値があるのはこれですかねー。」
と言って、壁に掛けてあるデニムのバナーをピラッと外しました。そこにあったのは、何と!Σ(・□・;)
以下後編に続く。